被害者の3人の運命――死にいたる経緯――はこうだった。
■コスティア・ボロディン■
コスティア・ボロディンは、シベリアの密猟者、窃盗犯だった。だが、流刑地からの脱走者の捕縛や殺害の仕事を、賞金と引き換えにやっていたことから、密猟や窃盗というしけた犯罪については当局からお目こぼしされていた。ところが、ノヴォシビリスクのソフホーズ(国営農場)で養殖しているクロテンを生きたまま盗み出したことから、当局から訴追・指名手配されていた。
シベリア特産のクロテンの毛皮は、1頭分が数百万ドルの価格で売れる。ソ連にとっては、貴重な外貨獲得の商品=手段だった。飼育と出荷をソ連当局が独占していた――当時、一般に外国貿易は国家独占事業だった。中央政府の管理下で国有・国営企業が運営していた。それゆえ、生きた生殖能力のあるクロテンの捕獲と国外持ち出しは、極刑をもって禁圧すべき重大犯罪だった。
結局、コスティアはモスクワに逃げてきて、当局の目を巧みに逃れながら、イコンの偽造、密猟毛皮の販売などで金を稼いでいた。イコンの密売商のゴロドキンとは、偽造イコンの販売で親密になった。
そして、ボロディンはこっそり飼育しているクロテンをオズボーンに高額で売り渡して、その密輸の手口を共同で考案しようとしていた。そのために、大型の櫃が必要だったのだ。イコンを入れるはずの櫃のなかに生きたクロテンを入れて、バルト海経由で国境を超えて輸送しようとしていた。この手口で、ごくたまにオズボーンはロシア人の亡命を支援していた。
ソ連との貿易を大規模に組織・運営するオズボーンは、巨額の賄賂によって、ソ連側でもスウェーデンやフィンランド側でも通関役人を買収していた。彼が扱う貿易貨物については、ほとんど中身を通関書類通りか検査することなく国境を通していた。彼の鼻薬はKGBの幹部や党中央の大立者にも回されていた。オズボーンの商売を邪魔する者の排除にさえ、KGBエイジェントが利用されていた。
ノメンクラトゥーラの権力秩序のもとでは、国家機関やその担い手がそれぞれ特権を利用して外貨収入を稼ぐことは、いわば当然の行為と見なされていた。
だが、さすがのKGBも、貴重な外貨獲得源であるクロテンの密輸にまでオズボーンの手が伸びているとは感づいていなかった。
それに目をつけたコスティアは、クロテン密輸の件でオズボーンをゆすった。巨額の金を要求したのだ。それが、オズボーンの怒りを買い死を招いたのだ。
■ヴァレーリャとカーウィル■
シベリアで生まれ育ったヴァレーリャは、不自由で貧しいシベリアから脱出するために、コスティアとともに暮らすようになった。いっしょにモスクワに逃亡してきたが、さらにソ連国外に逃げ出したいと願うようになった。
モスクワに来てから、彼女はイリーナと知り合った。
さらに、ソ連の若者の亡命支援の使命に燃えるジェイムズ・カーウィルとも知り合った。カーウィルはカーウィルで、亡命支援のためにオズボーンと知り合った。
カーウィルは、クロテン密輸にも面白がって絡んできた。
ところで、コスティアはどこでも官憲の目を逃れて生き抜くことができる悪党だったから、ことさらにソ連からの亡命を望むわけではなかった。今、彼が求めるているのは、巨額の金、しかもドル札だった。そのために、オズボーンと結託してクロテンを密輸出し、挙句の果てに、この犯罪をネタに大金をゆすり取ろうとした。
そんな恋人に愛想をつかしたヴァレーリャは、亡命支援を条件にオズボーンの愛人になった。寝る相手を、シベリアの悪党から、年は食っているが大金持ちのアメリカ人貿易商に取り替えたわけだ。
コスティアは「女よりも金」を求めていたから、そのことでヴァレーリャやオズボーンと揉めることはなかった。
だが、オズボーンは、クロテン密輸という弱みを握る証人でもあるコスティアとヴァレーリャを生かしておくつもりはなかった。彼らとつるんでいるアメリカ人、カーウィルも。
そこで、オズボーンはヴァレーリャに餌を投げかけて、コスティアとカーウィルを呼び出し、3人まとめて殺害する計画を立てた。ヴァレーリャに投げた餌とは、仲間の2人を始末してから、アメリカに亡命させてやろう、という提案だった。
で、オズボーンは、スケイトリンクの脇の林のなかに集まった3人に夕方のおやつ代わりの飲み物やサンドウィッチを提供する振りをして、銃の入ったバッグを持ち上げ銃把を握ると続けざまに引き金を引いた。
ヴァレーリャは、オズボーンと結託しているつもりだったから、2人の死に様を冷酷に眺めていた。「これで、私は自由の国に脱出できるんだわ」と。
その夢見心地のヴァレーリャの胸を3発目の銃弾が襲った。
これが、3人の殺害の状況だった。