ところで銀行の内部では、人質を地下のいくつかの部屋に分断して閉じ込めたのち、強盗団は奇妙な行動を取っていた。
すでに支店長を強制して大金庫の扉を開けさせておいたのだが、強盗団はそのなかに何度も出入りしたけれども、別段現金や証券をかき集めて持ち出し用の袋や容器に詰め込むというような素振りも見せなかった。
彼らが入り込んで熱心に作業をしていたのは、備品室だった。棚を動かしてパネルを張ったり、床に深い穴を掘ったりしていた。
現金や財貨を奪い取るための行動はまったく取っていなかった。
強盗団のボスはというと、黒人の少年を金庫室に入れて、警察が差し入れたピザパイを食べさせながら、雑談をしていた。少年は小型のモバイル端末でコンピュータゲイムをしていた。強盗や殺人で得点を稼ぐゲイムだった。そういう殺伐としたゲイムに慣れているせいか、少年は強盗団とも平気で言葉を交わして楽しんでいた。
ボスはゲイムの内容を知ると、半ば嫌悪感を示しながら愕然としたようだ。銀行を襲撃した集団のボスにしては、意外な反応だった。
暴力を否定する態度が明白だった。
ところで、アーサー・ケイスに雇われた弁護士マデリーンは、銀行強盗団との直接交渉をするために市長に圧力をかけた。
マデリーンは市長や市政の弱みをいくつもつかんでいるらしい。市長の支持基盤や選挙戦での財政支持基盤となっている団体への影響力もあるのだろう。もちろん市長自身は、弱みを握るマデリーンを毛嫌いしている。だが、いつも彼女の圧力には屈服するしかないのだ。
今回も市長は市警の現場指揮官フレイジャーにマデリーンの要求に「配慮」するように命じた。
フレイジャーははじめのうち、危険な現場に女性弁護士を介入させて強盗団と直接交渉させるなどもってのほか、と市長の要求を拒否した。だが、世エイジ的駆け引きに長けた市長は、小切手紛失事件では免責にすると説得したりとか、今後の昇進を匂わせたりして、ついにマデリーンの要求をねじ込んだ。
フレイジャーが「マンハッタン信託銀行グループ会長の弁護士が会いたがっている」という要件を電話で伝えたところ、強盗団のボスはすんなり受け入れた。むしろ、そうなることを読んでいたかのように、すんなりと応じたのだ。
マデリーンは入口で強盗団のボディチェックを受けたのちに行内に入り込み、ボスであるダルトン・ラッセルと面談した。その場で、「現金は好きなだけ持っていっていいから、アーサーの貸金庫ボックスの中身だけを持ち出したい」と要求した。
するとダルトンは、 ボックスの中身=秘密の書類はもう手に入れたと返答し、しかも彼らがすでに会長の闇の過去の秘密を知っていることを匂わせた。そのうえ、秘密とは、アーサーがナチスのユダヤ人狩り(財産没収)に協力して大金を手に入れたことだ、とマデリーンに教えた。
そしてダルトンは、書類は公開するつもりはないこと、いずれ「しかるべき代償」と引き換えにアーサーに買い取ってもらうだろう、と告げた。
恐るべき秘密を知ったマデリーンは、愕然として銀行を出た。そして、ただちにアーサーの事務所に交渉結果を報告に出向いた。
もちろん、アーサーの秘密が世の中にばれないようにしたのだから、交渉は成功といえる。だから、マデリーンは堂々と報酬を要求できる。
報告が終わると、アーサーはマデリーンに何万ドルもの支払い小切手を渡した。もちろん、この件を担当した弁護士としての守秘義務を守らせるために、弁護士料を支払って諾成関係を成立させたわけだ。
契約が成立した以上、マデリーンはクライアントとしてのアーサーの利益に反する行動を取ることを禁じられ、秘密を秘匿する義務が生じることになる。