では、この映画の物語と状況設定にかんする大きな疑問に進もう。
銀行グループ会長、アーサー・ケイスはなぜ、このような醜悪な過去の証拠となるナチス協力者時代の身分証などの書類を焼却しないで貸金庫に秘匿し続けたのだろうか。
「現金狙いの銀行強盗による襲撃が起きた」という報道を聞いただけで、リスクを回避してその証拠の安全な回収をはかるために辣腕弁護士を雇ったくらいだから、彼がことの重要性は認識していたことがわかる。愚かではない。では、その彼にして、なぜ保管し続けたのか。なおのこと疑問は深まる。
私が考えたのは、その書類が彼の「闇の過去」を証明するものであると同時に、銀行グループの経営危機にさいしてソルヴェンシイ――流動資産の保有ポジション=銀行の現金支払い能力――をカヴァーするための保険となるからではないか、ということだった。
支払い能力をカヴァーするとはどういうことか。
豊富な資産保有者に資金援助を頼み込むということだ。言い換えれば、自分の闇の経歴を証明する書類が、同時に、スイス銀行に資金援助を要求できる証拠になるということだ。
つまり、スイス銀行に対して資金支援を要求できるほどの武器になるということだ。資金を融通しなければ、アーサーは自分の身の破滅にその相手を引きずり込むと脅すことができるということだ。
その場合に鍵となるのは、彼がナチスによるユダヤ人資産の没収・収奪作戦の手先としてスイス銀行連盟の加盟金融機関に勤務してスパイとして働いたという経歴だ。
スイス銀行連盟でのユダヤ人資産口座の内偵(スパイ)をしていたことによって、将来、巨額の資金援助を強要できるはずだと踏めるほどの「弱み」を探り出したということだ。
そうなると、資金援助を強要する相手とは、直接にはスイス銀行連盟そのものであり、間接的には《連盟というシステム》を秘密裏の国際送金や資産隠しで利用している国際銀行グループということになる。
◆ユダヤ人がスイス銀行に残した莫大な資産◆
「ナチスのユダヤ人狩り」⇒「ユダヤ人の口座調べ」⇒「スイス銀行連盟の弱み」という連想ゲイムから何が出てくるだろうか。
答えは明らかだろう。
ナチスによるユダヤ人強制収容所送り――ホロコウスト(ジェノサイド)――がもたらしたのは、殺されたユダヤ人たちがスイス銀行連盟に設定してあった口座の預金の莫大な集積であって、戦争後、もはや持ち主が失われ、解約や引き出しする者が消滅した途方もない額の預金残高だった。それが、スイス銀行連盟にそっくり残されたのだ。
つまり、スイス銀行連盟としては、何のコストもかけずに懐に巨額の資金を貯め込むという結果になった。持ち主が現れなければ、その現金資産・財宝は銀行連盟の自由な処分に委ねられる。濡れ手で粟、というわけだ。
ユダヤ人たちの悲劇の対極には、同じ事件の帰結として、スイス銀行連盟の金庫に巨額の資産が転がり込むという事態が生じたのだ。