バスの衝突転覆事故でタケは頭部に衝撃を受けて昏睡状態に陥り、病院に担ぎ込まれて集中治療を受け、2週間も昏睡が続いた。その間、生死の境をさまよっていた。 混濁した精神状態でタケはこんな夢=妄想を見た。
タケはなかぬっさんと一緒に、生きた人間が入ることができない温泉につかっていた。 タケはなかぬっさんに「俺は死んだんですか」と問うた。
「うーん、微妙」というのが返事だった。
この村に来てから周囲の人びとに迷惑ばかりをかけているから「俺は人として生きている価値がない」と落ち込んでいるタケになかぬっさんは、「この村ではどんな困ったことも最後にはどうにかなるもんだ」と言って慰めた。
そんなところに、なかぬっさんの娘、奈津が一糸まとわず素肌もあらわに温泉に入ってきた。タケはその妖艶さに見とれたが、恥ずかしくなって目をそらせた。
奈津は村でただひとつの宿泊施設兼料亭、伊佐旅館の女将で、彼女には天野与三郎をそっくり幼くしたような一人息子、進がいた。なかぬっさんの孫というわけだ。
顔立ちから見るからに、天野の子供だということがわかる。
タケは「スーパーあまの」の仕事で、注文された食材を旅館に配達に行ったときにはじめて進と出会った。あまりに与三郎に似ているので、つい天野の子どもか聞いてしまった。奈津は「そうだ」と答えた。
つまり、天野はあんなに美しい妻、亜希子がいるのに、伊佐旅館の美人女将の奈津との間にも男の子をもうけているのだ。タケが唖然としていると、奈津の下で板前をしている勝男――両頬に不気味な傷痕がある、元ヤクザでタケは顔を見てビビった――が「田舎だから、いといろあるんだ」と答えた。
その進は翌日、タケが働いているときに「スーパーあまの」に買い物に来た。亜希子と顔を合わせたらマズイとタケは焦ったところに、亜希子が出てきて笑顔で進に挨拶した。ホッとしたタケだったが、笑顔の亜希子が右手に握っていたボールペンをへし折るのを見て、縮み上がったのだった。
さて、温泉につかりながら、われに返ったタケは奈津に彼女の息子、進について尋ねた。どういう経緯で天野との間に子をなしたのかと。
奈津は「人の頼みを絶対に断れない天野に、あなたの子どもを産みたいと迫ったのよ。試したの」と婀娜っぽい笑みを浮かべて答えた。そして、困惑したタケに「試したというのは嘘。本当はあの人を愛していたわ」と心を打ち明けた。
やがて、なかぬっさんはタケに「もう帰れ」と言った。つまり、息を吹き返せということだ。