ジヌよさらば 目次
奇想天外な物語
若者は「かむろば村」へ
「貨幣経済」からの逃避
カネよさらば……!?
青葉の誘惑
バス転覆事件
タケとなかぬっさん
バスの名前は「ほでなす号」
多治見の陰険な復讐
天野与三郎の逮捕
タケの立候補
なかぬっさんの死
「普通だな」
捻転する意思疎通
「ゼニよさらば」
経済成長なき金融膨張
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経済成長なき金融膨張

◆膨れ上がった風船◆
  テレヴィのニュウズでは、知りたくもないのに、頻繁に株式相場の情報が伝えられてくる。「最高値」「最大の上げ幅」「最大の下げ幅」などの観測が、見かけの金額のほかには何の基準もなしに報道される。
  ところで、金融市場がもはや無政府性を極めている以上、その一部門である株式市場での価格変動もまた無政府性を極めていることになる。
  ことに株価の上昇――とりわけNYSE(ニュウヨーク証券市場)――の株価上昇は、もはや行き場を失った金融投資資金や投機資金が流れ込んできた結果に過ぎないので、その上昇や下降の変動は、景気変動の指標とはなりえない。
  というよりも、実体経済の経済循環=景気の上昇がなくても、実体経済の何倍にも膨れ上がった金融資金がミーハー的に流れ込む場合には、「根拠のない」株価上昇が持続することになる。現在の株価がそうだ。そうなると、膨大な株式を保有する階級だけが、極端な形で資産評価額の膨張の恩恵を受ける――成果の独り占め状態。
  一般民衆=庶民が携わる経済部面には何の恩恵もないどころか、バブリーな資金循環や金融変動の悪影響だけを被ることになる。

  しかも、株式公開企業はといえば、実体的な経営業績ではなく、その株価の上下運動によって経営の善し悪しが評価されるようになる。企業経営は、投資家が強大な発言権を持つようになった株式市場に鼻づらを引き回されることになる。生産的投資よりも株価などの「含み資産」、財務諸表の見かけばかりに気を取られるようになる。
  こうして基礎研究などへの長期的な技術開発への投資はますます後回しになっていく。こうして、経済成長の土台はますます掘り崩されていく。そうなれば、金融資金が企業の生産的活動に投下される余地はどんどん失われていく。長期的には、金融資本は自らの首を絞めているのだ。いずれ窒息するだろう。

  貨幣資本は、もはや利子を呼び寄せ要求する権力を失ったのだ。かくして、ゼロ金利の金融市場構造が固まってしまった。
  それは当初のうち、日本だけに特有の特殊な金融状況だと見られていた。だが、西ヨーロッパ全体で人口成長と経済成長が停滞し続けると、ゼロ金利状態がヨーロッパでも恒常化していった。
  すなわち利子生み資本の麻痺または貨幣の資本としての機能の喪失だということだ。
  貨幣資本すなわち金融資本を保有することが、経済的再生産における継続的な支配的地位の保持とイコールではなくなってしまった。

  こうして、産業の成長が停滞し、過剰に蓄積され金融投資の向け先、行き場が失われてきた。それでも、金融資産はおのれ自身に利殖と増殖を求め続ける。そうなると、行き場を失った金融資産は、長期的な安全性や安定性をすっかり無視して賭博のような危険な投機市場に殺到することになる。
  あるいは、虚構の利殖機会を金融市場に持ち込んで、そこできわめて場当たり的で短期的な利回り獲得のための運動を始めるようになった。
  それがディリバティヴを用いたヘッジだ。
  これまでの単純な、それゆえまたリスク管理がしやすい金融取引に代わって、やたらに迂回路や脇道ないし不随物を媒介させた金融取引が横行するようになる。
  それは本質上、リスクの回避ではなく、リスクを遠くに追いやり見えにくくするだけでで、リスクの本体・実態量はそのままにする方法に過ぎない。


  かくして金融資産が流れ込む経路は増大し複雑化する。だが、ただそれだけのことだ。
  金融危機という爆薬に結びついた導火線が複雑な網目状になって長くなっただけだ。迂回路や脇道が増えたから、導火線が燃え尽きていく時間は長くなった。だが、爆薬そのものは減るどころか、膨張し続けている。
  こうした金融危機の爆薬を爆発させない方法はただひとつ。利子生みをやめさせることだ。もはや貨幣に利子生み資本としての機能を与えないようにする仕組みにするしかない。
  しかし、金融資産の利子生み機能、利殖機能を遮断すると、もはや健全な金融市場、投資先がないということになる。すると、もはや高い利子をつける必要がなくなった貨幣資本を借り出して、つまり低利の融資を受けて、仮象の需要を生み出したかのような投資先に投資して、帳簿上――見かけ上――の資産価値の膨張をもたらそうとする動きが始まる。

  たとえば、東京都の旧都心部や沿海部などに最先端の装備の高層ビル群を建設して、企業のオフィスを誘致する、という現在の「成長モデル」だ。これによって、新ビル群をめぐる建設投資による収益とテナント料収入、室の販売収入、家賃収入などは増大する。
  しかし、経済成長や人口成長は停滞しているから、不動産需要の総量はさして変わらない。さほど増えてはいない。それは既存のビルやオフィスから新たなオフィスへの借り換えや買い替えの増大を意味する。
  つまり、他方での建設から時間が経過したビルやオフィスの需要の激減をともなっているわけだ。そこでは、不動産収入・収益の激減が起きている。したがって、そこでは不動産の資産価値は崩壊していく。
  そのような不動産にもとづく金融資産価値は失われ、そういう資産と結びついた金融循環、決済循環は麻痺したり断ち切られたりする。そこでは、金融危機の爆薬の導火線に火がつくことになる。
  こんどはそこから金融危機が始まる。金融循環のネットワークは絡み合っているから、危機はいずれ金融市場の全体に波及するだろう。

  たとえば以上のようなしだいで、資本としての貨幣の機能は麻痺し、崩壊しつつある。とはいえ、資本主義的システム(権力構造)は相変わらず存在していて、虚構の利殖機会を生み出そうとする衝動はむしろ強まっている。
  人類は「ゼニよさらば」と宣言すべきかもしれない。

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