クレイマー、クレイマー 目次
離婚騒動と子どもの立場
原題と原作
見どころ
あらすじ
ジョアンナの決断
追い詰められるテッド
人生観・価値観の転換
ジョアンナのビリーへの想い
親権裁判
ジョアンナの証言と反対尋問
証人席のテッド
ビリーの悲しみ、そして和解
《女性の自立》に関する考察
「女性の自立」と「人間としての自立」
ジョアンナ、そして時代背景
生物史・進化論における男と女
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離婚騒動と子どもの立場

  職場や家庭生活での「男女の対等化パリティ」が日本に比べてはるかに進んでいるアメリカ合衆国。でも、1970年代までは「男は仕事、女は家庭」という格差と偏見(性差)はごくごく当たり前に罷り通っていた。ウーマンリブとかフェミニズムの運動も盛んだったが、社会生活の仕組みとしては、男尊女卑がひどかったようだ。
  しかし、70年代末頃からは、建前だけでなく、職場や家庭、公共空間での男女格差の解消への動きが顕著になった。
  これは、そんな時代の物語で、結婚のためにキャリアをあきらめ「妻として」家庭に閉じこもり、育児に専念していたある女性がそんな生活状態に堪えられなくなって家出し、やがて離婚騒動に発展するという筋立て。
  しかし、アメリカでは男女関係や離婚問題が法廷に持ち込まれると、企業間競争や政争並みに相手の欠点を暴露し、攻撃し合う泥仕合になることも多かった。法廷闘争で相手に勝つこと、優位に立つことを求める限り、利害紛争はすさまじいものになる。
  しかし、人間関係はすべて優劣や勝ち負けで決まるわけではない。両親の争いに巻き込まれた子どもの立場もある。そして、子供に愛情を注ぐ親としての立場もある。そんな複雑な問題をコメディにパッケイジした傑作映画がこれだ(1979年)。

原題と原作について

  英語版のオリジナル題名はもともとは Kramer Vs. Kramer だったが、まもなく Kramer, Kramer に改題された――理由や経緯はわからない。原作は Avery Corman, Kramer Vs. Kramer, 1977 (エイヴリー・コアマン、『クレイマー対クレイマー』)で、離婚した元夫婦の離婚騒動と子どもの親権をめぐる騒動を描いた小説。
   Vs は versus の省略形で「対」つまり against ということで敵対関係や利害紛争の関係を意味する。ここでは法廷にまで持ち込まれた離婚騒動の当事者たち、すなわち「夫であったクレイマー」対「妻であったクレイマー」の対立を表している。離婚訴訟としては「クレイマー対クレイマー事件」ということになる。

見どころ

  「○○対□□」というのは、一般に訴訟で対立する当事者双方を現す表現。だから、ここでは「クレイマー対クレイマー事件」ということになる。別れた元妻と元夫とが愛児の親権・養育権をめぐって争う事件の物語を描いている。
  1970年代末まではアメリカでも、「男は仕事、女は家庭」という固定観念が強く残っていたようだ。テッドも家庭は妻に任せ切りでワーカホリックのように、早朝から深夜まで会社でアートディレクターとして働いていた。ニューヨークの大手広告代理店で業界のエリートだった。
  わがままなクライアント相手の仕事で、仕事中毒にならないと厳しい 競争から脱落してしまう業界だった。
  しかし、家事や育児で夫の理解や協力が得られないジョアンナはノイローゼになり、やがて幼いビリーを残して家を出ていってしまった。やがて、離婚することになった。

  「男の仕事だけ社会」のビズネス戦士からいきなり家事や育児に手を染めることになったテッド。大混乱に陥る。それでも、ビリーへの愛情を支えに育児や家事に大奮闘。
  しかし、中毒のように仕事だけに没頭することを要求する業界にはいられなくなってしまった。テッドはこれまでのキャリアをあきらめて、家庭や育児と両立できる仕事を探し求める。
  で、ようやく育児・家庭と仕事との両立が成り立ちそうになったとき、ジョアンナがベリーの親権・養育権を要求して訴訟を起こした。テッドとジョアンナは、ビリーをめぐって法廷で争うことになった。
  ところが、訴訟での勝利そのものをめざす弁護士たちは、互いに相手の弱点や非を暴き立て貶めるような法廷戦術を繰り広げ、テッドとジョアンナを必要以上の敵対関係に追い込もうとする。だが、離婚しても、互いに相手を尊重しようとする2人は、矛を収めて和解の道を選ぶことにした。

  というわけで、この作品は女性が家庭に閉じこもることを拒否して経済的自立とキャリアを求めて立ち上がり始めた時代の様子を描く。そして他方で、過当競争の法曹界で高額の成功報酬を得るために、相手をとことん攻撃する弁護士たちの法廷戦術=過剰演出――小さな意見の違いがやがて修復不可能な深刻な敵対や溝を生み出す訴訟社会アメリカの状態――を痛烈に皮肉る。

  法廷場面では、訴訟の勝敗にこだわるあまり弁護士の戦術に乗ることなく、相手を思いやる誠実さと品位を保ち続ける「元夫婦」の描き方が素晴らしい。

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