いよいよ法廷での審理と駆け引きが始まった。
法廷での判定=意思決定の形態は、陪審員なしの裁判官の職権による――法廷でのやり取りについての判事の自由な心象にもとづく――決定を下すというもの。
まずは、原告(攻撃側)の証言と被告(防御側)からの反対尋問がおこなわれた。まず、ジョアンナ側の法定代理人としての弁護士が、ジョアンナの言い分の正当性を効果的にアピールするような組み立て方で彼女に証言させた。そののちに、テッド側の弁護士が、ジョアンナの言い分や立場の矛盾や弱点を暴き立てるように、尋問をおこなうことになった。
ジョアンナの言い分はこうである。
愛息のビリーと家庭を捨てるように出ていったのは、精神的に追い詰められていたからで、その原因の最大の要因はテッドのジョアンナと育児・家事への無理解、無関心であった。
そのときは混乱していてが、西海岸でテラピストによるカウンセリングによって自身を取り戻し、自分の人生の再設計をはかった。その結果、雑誌などの情報媒体での企画デザインの専門家としてキャリアを再開することができた。
こうして経済的にも精神的にも落ち着き自己回復してみると、愛息ビリーへの愛惜が募ってきた。そこで、ビリーが暮らすニューヨークに住居を移した。この都市でもデザイン専門家として業績をあげていて収入も増加したので、ビリーを引き取って保護・養育する条件は完全に整っている。
母親としてビリーの保護と養育には自身があるし、ビリー自身も母親の保護と養育を必要としている。
一方、テッドの代理人、ショーネシー弁護士によるジョアンナへの尋問――相手の瑕疵をあばき立てる方向での問い質し――はこうだった。
ビリーを置き去りにしたのは責任の放棄ではないか。
女性雑誌のデザイナーとしてのキャリアを中途で停止して結婚し、家事と育児を選択したのは、ジョアンナ自身の選択だったはずではなかったか――彼女の答えはイエス。
テッドとの結婚生活で孤立し追い詰められたと言うが、テッドはジョアンナに経済的・金銭的・物的に不自由をさせたことがあるか。また、ジョアンナに暴力や罵詈をふるったことがあったか――応えはノウ。
そういうことがないのに、家庭と育児を放棄して出ていったのは、明白に責任の放棄ではないか。
さらにショーネシーは、精神的に追い詰められて混乱していたときのジョアンナの行動や判断力の欠如を暴き立てて、問い詰めていった。証人席で答えに窮して混乱するジョアンナ。
それを被告側席から眺めているテッドは、あまりに酷い尋問方法に驚き、むしろジョアンナに同情した。
そして、テッドは困惑するジョアンナを見つめアイコンタクトで「その質問には答えるな。ノウと言え」と伝えた。だが、ジョアンナは不利な証言を返してしまった。
弁護士は、ジョアンナの心理や行動、判断の文脈や流れを意図的に無視し、分断・寸断して、あれこれの個々の事実や心情をことさら――あげつらうように――強調して、「責任能力の欠如」や「判断の混乱」という評価尺度を刻印していった。
勝つためとはいえ、相手側をそこまで追い詰める必要があるのか?
それがテッドの気持ちだった。