ある休日、テッドはビリーを連れて近くの公園に出かけた。
そこでビリーを遊具で遊ばせながら、テッドはマーガレットと語り合った。マーガレットは以前は、家庭に閉じこもっているジョアンナに「女性としての自立」をけしかけていたのだが、ジョアンナがビリーを置き去りにして家を出てしまってからは、同じようにシングルペアレントになったテッドと仲良くなっていた。
マーガレットは以前、家庭をほったらかし同然にして仕事に没頭していたテッドに反感を感じ、家事と育児を押しつけられているジョアンナに同情していた。だが、ジョアンナが家を出て行ってからテッドが家事と育児をするようになってからは立場が似てきたので、テッドに対して一種の友情を感じていた。
ところでマーガレットは、彼女の友人と浮気したチャーリーと離婚していた。つまり、マーガレットも連れ合いから捨てられたのだ。テッドの気持ちは痛いほど理解できる。
テッドはマーガレットに質問した。
「もしチャーリーが浮気を後悔して戻ってきて謝罪したら、君は許してよりを戻すかい?」
「いいえ、それはないわ。彼を嫌っているわけではないのよ。あんなみじめな思いを繰り返したくないわ。すごくつらかったもの」とマーガレット。
「ということは、つまり、君はチャーリーを今でも愛しているから、裏切ったチャーリーを許せないわけだね」
「・・・・」マーガレットとしてはあまりに辛くて答えを返せなかった。
マーガレットは悲しくて涙を流し始めた。テッドは、彼女の肩を抱いて慰めた。
テッドも妻に捨てられた悲しみを背負っていた。
■生活スタイルの転換■
早朝から夜遅くまで会社での仕事に追われる毎日。それが、ジョアンナが出ていく前のテッドの日常だった。家庭や子育てはジョアンナに任せ切り、というよりも一方的に押しつけていた。そのことに何の疑問も抱かなかった。
より高額の給料を得ることが家庭の幸せにつながるはずだと一方的に考えていたのだろう。
だから、ジョアンナが不安や不満をぶつけてきても取り合わなかった。その結果、彼女は追い詰められ、家庭を捨てて出ていってしまった。
今、テッドは朝起きると、ビリーといっしょに朝食を用意する。食事が済むと、ビリーを小学校まで送っていく。ときには会社を抜け出してPTA主催の行事に参加することもある。
夕方は、会社の仕事をを定時に切り上げて、学童保育――とはいっても、アメリカでは公的な制度がないので、一般家庭の主婦がパートタイムの仕事として、報酬と引き換えに低年齢学童の面倒を見ている――にビリーを迎えに行く。
家に帰ると夕食を用意してビリーとともに食べてから、企画やデザイン構想などの自分の仕事をする。ビリーがベッドに行く時間になると、テッドは毎日絵本や本を読んでやり、愛息を寝かしつける。
つまりは、子育てや家庭の切り盛りが生活時間のなかで占める割合が大変大きくなり、それにともなって「会社の仕事に没頭するのが当然」「残業や休日出勤は当たり前」という生活スタイルが続けられなくなってしまった。
生活スタイルの変化は、行動スタイルや思考スタイル、要するに価値観を転換させていった。今になって、ジョアンナの気持が汲み取れなかったことを悔やんでいる。
ところで、ビリーは母親に捨てられたという想いで落ち込んでいた。けれども、ジョアンナが恋しくて、自分の部屋のタンスのなかに母親の写真を隠し持っていた。しかし、自分を置いていった母親への複雑な想い――恋しいけれども恨めしい――があって、写真を引き出しにいれたままにしていた。
テッドは、ビリーの着替えの服をしまおうとしてジョアンナの写真を見つけた。息子の気持ちが痛いほどわかった。で、写真を着替入れのタンスの上に出して飾った。ビリーがいつでも見れるように。
そして、テッドはある夜、ビリーに語りかけた。
「お母さん、ジョアンナはねえ、ビリーを嫌いになって出ていってしまったわけではないよ。
お父さんがねえ、それが家族のためだと思い込んで仕事に没頭しすぎてしっまたから、お母さんは追い詰められてしまったんだ。お父さんがお母さんの話を聞いてあげなかったからだ。お母さんは苦しくなって、この家にいられなくなってしまった。
だから、お母さんはお父さんとは生活できないと決心したんだ。でも、ビリーを愛しているはずさ、今でも。ビリーは捨てられたわけじゃあないんだよ…」と。