ところが、「自立的な職業能力」を身につけるための学歴や職歴を積んできたジョアンナにしてみれば、家事と育児に専念してもっぱら家庭にいることは、それまで自分が培ってきた価値観や思考スタイルに反している。だから、しだいにストレスや圧迫感を感じていくことになる。
これがもっとずっと金持ちだと、女性の考え方や判断尺度が違ってくる。何しろ、自分の文化生活を豊かにし見栄を張るための機会や手段がいくらでも買えるのだから。そして、ギャラリーやら雑誌出版社なんかを自ら設立・経営してしまうかもしれない。
だが、都市の中間層のジョアンナは、自分の技能や知識を使って働き稼ぎたいのだ。
それにしても、ジョアンナはそういう精神的不安や圧迫感から逃れるために、今から見れば随分とおとなしい選択をしたものだ。「自分が悪い」という気持ちに押されて、家を出てしまう。テッドを責め立てたり、女性差別主義者と罵倒することもない。いったんは身を引くのである。
声高に「女性の自立」なんて叫ばない。自分の適応障害・能力不足と感じてしまうのだ。何とけなげで可憐ではないか。
おそらく内省的な知性を持っているのだろう。
そして、時代背景もそうだったのだろう。知識人は、70年代の声高な政治的スローガン――ことさらに異端派・反対派を気取るような――を主張することの限界を身にしみていて、より現実的な解決策を模索するようになったのだ。
そして、その頃からアメリカ経済の成長はひどく停滞していて、それまでの進歩主義的なスローガンでは、厳しい競争社会を生き残ることができなくなっていた。何しろ、経済的停滞のなかで、家庭・家族重視の保守主義が台頭していて、やがてレイガン政権が生まれるような時代だったのだ。
ところで、私見では生物史あるいは進化論的にみると、男女の生化学的優劣は存在するらしい。もとより女性の方が圧倒的に上位にある。極論すれば、生物の本来の性質は女性(雌性)であって、男性(雄性)はその遺伝形質が壊れて生まれたものだという。
あとから進化的に発生したのだから、男性の方が上と見ることもできなくはないが、遺伝子構造が劣化・部分崩壊してできた姓だから、より新しいものだが上位にあるとは言えないらしい。
それはこういう経過だという。
はじめのうちは生物は単性生殖だった。しかし、単性生殖は基本的にクローン型増殖なので環境変化に脆い。そこで、環境変化に敗れた個体のなかで遺伝子構造が部分崩壊・劣化して、生存能力は本来の性よりもはるかに弱い、本来の形質とは異なる性が生まれたらしい。こうして、2つの性が交合して部分的に異なる遺伝子配列を交換・混成するメカニズムが生まれた。
遺伝子の分子配列のシャッフルと相互変換の場が生まれ、それまでとは遺伝子構造が少し異なる変異種が突然発生する仕組みが、ここに誕生した。つまり、突然変異のメカニズムの出現だ。
変異種のなかには環境変化のなかでも生き残る、さらに適合能力を増した変種もあったので、両性の存在によって環境変化と突然変異による進化の仕組みがつくられたのだ。
ところが、新たな性つまり男性=雄性は生殖のときにだけ遺伝子交換・交合のためにだけ生存していればいいいということで、男性=雄性はきわめて生存能力が弱いというか脆いものだった。女性=雌性の遺伝子構造が崩れて生まれたものだから。要するに男性=雄性は「女の壊れたもの」でしかないからだ。概して男とは「女の腐ったようなヤツ」でしかないのだ。
ところで、この遺伝子構造の壊れ方にはいくつかパターンがあって、「通常の男性=雄性」にまでは壊れずに、その中間地帯にとどまる壊れ方もあって、そのため、一定の比率で男女・雌雄の中間地帯にいくつかのヴァリアントが生まれるようになっているという。
そのヴァリアントは、通常の男性よりも壊れ方が弱いので、男性よりはより完成度が高い、女性に近いのだが、人間も含めて種や個体群社会のなかで生きるのが難しいようでもあるらしい。それがいわゆる「性同一性障害」なのだが、この思想自体が一種の偏見というか幻想ともいえる。
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