ラストエンペラー 目次
見どころ
あらすじ
世界史の文脈のなかで
最後の皇帝の人生回顧
宣統帝溥儀 死にゆく帝国
中国の帝国レジーム
「分封建国」
奇妙な政治体=帝国
文字情報と官僚制
帝室と宦官
帝政の権力構造
皇帝権力の基盤
装置としての皇帝
最後の帝国「清」
遅れてきた帝国
ヨーロッパの勃興と…
ブリテン…東インド会社
アヘン戦争
崩壊する帝国
帝政の最期
辛亥革命と帝国の滅亡
「遺骸」としての宮廷
残骸宮廷と溥儀の心性
茶番劇の復位
分裂する人格
政変、追放、そして亡命
ソ連の俘虜、そして東京裁判
中国への送還
収監と改造教育
「文化革命」との遭遇
映画制作の「背景」を探る
中国と日本との皮肉な関係

最後の皇帝の人生回顧

  これは、中国の歴史上、最後の皇帝の物語です。
  映画のもとになった資料は、1949年革命で政権を握った共産党の思想改造工作を受けた溥儀が、自分の半生を回顧し自己批判して書いた書籍『わが前半生』です。
  それは、多分に中国共産党の後ろ盾、つまりは政治的・イデオロギー的背景があって出版された書物です。
  そこで、この回顧録が「皇帝が社会主義国家の1人民になった」、つまり共産党の思想政策の成功例を宣伝する役割をもっていたことを、織り込んで考察しなければならないということになります。

  監督ベルナルド・ベルトルッチと脚本家マーク・ペプロウは、さまざまなシーンに第三者の眼を持ち込んで、溥儀や中国史を突き放して描いています。
  それは、ときには溥儀のテューター(ヨーロッパ人個人教授)の視点であったり、一般民衆の立場からのものであったり、環境の変化のなかで動揺する溥儀自身の眼であったりします。

  それを観る私たち観客の見方や考え方もいろいろでしょう。
  それにしてもこの物語は、私たちに対して、レジーム=権力者の側が打ち出し民衆に受け入れさせようとしている歴史観をもっと広い視野のなかに位置づけて問い直さなければならないという課題を突きつけている作品なのです。
  それは中国史だけでなく、満州帝国を樹立して中国支配の装置として利用した日本の姿、日本の歴史についても当てはまるものなのです。

宣統帝溥儀 死にゆく帝国

  1908年、清朝の光緒帝(徳宗)が死去し、後を追うように西太后も逝きました。死の直前、長らく光緒帝の摂政をしていた西太后は、帝位の後継者として溥儀を指名しました。
  溥儀は即位して、宣統帝を名乗りました。溥儀は光緒帝の直系ではありません。西太后の夫君、文宗の兄弟の醇親王の孫に当たります。
  かつて帝室=宮廷の権力を壟断していた西太后は、敵も多かったのですが、明晰な頭脳をもっていたようです。
  ゆえに、ほとんど破綻に瀕していた清朝の帝位継承者として、皇族家門のなかから賢い溥儀を名指ししました。けれども、溥儀はまだ3歳(数え年で、満では2歳)の幼児でした。
  まだ母親が恋しくてたまらない幼児が、無理やり母親から引き離され、乳母とともに禁城( the forbidden city )に移り住まうことになったのです。

  ところで、どれほど賢明な皇帝でも、自ら統治の実務を担うようになるのは「成人」してからで、それまでは宦官や摂政などの操り人形のようなものです。
  しかも、幼い皇帝に養育を施し統治の思想を育成するのも彼らですから、皇帝は帝政装置の「飾り物」で終わる場合が多くなるのは仕方ありません。皇帝は専制君主というよりも帝室装置の被造物なのです。

  ところが、その3年後、共和政革命(辛亥革命)によって、清の王朝と帝政は廃絶されてしまいます。ところが、権威を奪われた皇帝溥儀と禁城の仕組みは放置されたまま残存し続けることになりました。
  つまり、帝政は廃止ないし解体されたものの、それに代わって中国版図の全域を統治する政体が形成されなかったからです。

  それというのも、中国の帝政=帝国レジームは実にユニークなシステムで、その帝国の遺制や残骸の上には容易に近代国家を打ち立てることができそうもないのです。
  というわけで、古代から続く中国の帝国レジームがどういうものかごく大雑把に見ておきましょう。

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