自分が生活する政治空間の権力構造や秩序に順応するのは、誰しも同じです。そして、政治空間そのものが乱暴に変形されてしまうことすらあります。ようやく順応できるようになった政治空間の構造が変わってしまうと、もはや困惑するしかないのでしょう。
あれだけ人民解放や平等、個人の自立などの理想に燃えたていた共産党でしたが、党や国家のヒエラルヒー=権力装置が組織化されてくにつれて、権力闘争はひどくなっていきました。
さて、一般民衆の市民生活に溶け込んだ溥儀は、1967年に街中で、「毛沢東万歳」「造反有理」を叫ぶ一群の紅衛兵(青少年)の行進に出会います。彼らは毛沢東語録を掲げていました。
彼らは、「革命の裏切り者」「腐敗、堕落分子」として糾弾を受けている「囚人たち」を取り囲んで、デモンストレイションを繰り広げていました。
毛沢東派が独裁権を握るために仕かけた権力闘争といわれる「文化革命」のおなじみの光景です。
「囚人」のなかには、なんと改造教育の収容所で溥儀を熱心に指導・教育した所長がいました。彼は、高い教養と理想を備えた志操堅固な共産党員です。そのことを、溥儀は身をもって知っています。
それが、いまは「反革命分子」として捕縛され、糾弾・断罪されているのです。
「何かの間違いだろう」と溥儀は思いました。そこで、紅衛兵の列に入り込んで、所長の断罪・糾弾が誤りだと説得しようとします。ですが、青少年たちの表情は一途で眼差しは何かに憑依されたかのように頑な目つきです。
溥儀は、おそらく自らの身におきたことどもを想起し、レジームや秩序、価値観の変動の激しさ、その効果の恐ろしさを実感したに違いありません。
というよりも、映画制作陣の描きたかった主題のひとつが、人はどれほど大きく権力構造やレジームに影響されるかということではないかと思えます。
文化革命では、脅迫と懲罰の嵐が吹き荒れました。かつて戦争犯罪に加担した溥儀を報復=懲罰ではなく、説得と教育によって人間改造した、あの寛容さはすっかり失われていました。
ベルトルッチをはじめとする制作陣が、この映画の中国での撮影制作について中国当局から許可・援助を受けるにあたっては、おそらくいくつかの「非公式な」条件を提示されたに違いないでしょう。
皮肉屋ベルトルッチの個性があまり出ていないようにも見えます。抑えたつくり方になっています。それでも、ギリギリのところで監督としての矜持を垣間見せていますが。
溥儀の『私の前半生』の内容を問い直すような、鋭い問題を提起するシーンはないようです。私には、前後の流れから「あるはずの場面」が飛ばされているように見えます。
中国当局との交渉によって、削除を要求されたか、あるいは、制約の厳しさを知ってはじめから設定しなかったか、いずれかでしょう。
いずれにせよ、映像に現れたかぎりでは、溥儀の周囲から離れた中国全体の歴史的な動きはあまり明確に描かれてはいません。翻案原作に沿って、溥儀個人ないしその近辺の人間たちの目から見た(その視線の届くかぎりでの)状況を描いた作品になっています。
そのなかで、日本軍の侵略と支配、とくに関東軍による満州国建設と壟断に対する告発は、全体の構図が見えるようには描いていないが、ほかの問題に比べてかなり明確に表現しているようです。
戦争犯罪に対して溥儀の自己批判を強く求めた収容所の指導部は、日本の侵略および支配への協力・追随について厳しく指弾していました。
とはいえ、日本の侵略と支配についても描き方は断片的なものにとどまっています。要するに、扱う問題が大きすぎるのでしょう。
清朝の帝政、その腐敗と崩壊、列強諸国家の侵略と植民地化、日本軍の侵略と支配、解放闘争と人民共和国の建設、溥儀の改造教育、文化革命…と。
ラストシーンの直前で文化革命の恐ろしさを描いたのは、映画製作陣のせめてもの中国当局への「つらあて」でしょうか。