ラストエンペラー 目次
見どころ
あらすじ
世界史の文脈のなかで
最後の皇帝の人生回顧
宣統帝溥儀 死にゆく帝国
中国の帝国レジーム
「分封建国」
奇妙な政治体=帝国
文字情報と官僚制
帝室と宦官
帝政の権力構造
皇帝権力の基盤
装置としての皇帝
最後の帝国「清」
遅れてきた帝国
ヨーロッパの勃興と…
ブリテン…東インド会社
アヘン戦争
崩壊する帝国
帝政の最期
辛亥革命と帝国の滅亡
「遺骸」としての宮廷
残骸宮廷と溥儀の心性
茶番劇の復位
分裂する人格
政変、追放、そして亡命
ソ連の俘虜、そして東京裁判
中国への送還
収監と改造教育
「文化革命」との遭遇
映画制作の「背景」を探る
中国と日本との皮肉な関係

中国と日本との皮肉な関係

  映画にもわずかに描かれたように、現代の中国国家は、最も主要な舞台設定としては、日本軍の侵略への抵抗を指導し、そこからの解放闘争を指導した中国共産党のヘゲモニーによって形成されました。
  つまりは、中国共産党の支配の正当性の根拠は、日本軍の侵略に対する抵抗=解放闘争を首尾一貫して指導したことなのです。現存の国家と指導政党としての共産党の正統性の根拠は、日本の侵略・支配への抵抗闘争なのです。

  したがって、党の独裁の正当性を揺るがすような統治の危機(たとえば格差拡大による階級闘争の激化など)に直面するたびに、それを封じ込め、国家と党の正統性を訴求するために、日本の戦争犯罪への批判に民衆の関心や批判精神を誘導する必要が生じることになります。

  中国は、1970年代に国家としての国際的認証を獲得するために、さらに経済的に有力なアメリカと日本の支援を得るうえでも、共産党の政治的判断で、この問題の明確な解決――民衆的な基盤の上に立った「戦後処理」――を求めませんでした。
  いわば先送りしたのです。共産党の独裁下では、この政策的判断を中国民衆が支持し承認したという内政の制度的手続きは存在しないのです。韓国でもそうですが。


  だから、中国の民衆ないし諸個人の視点からは、日本の侵略・支配・収奪・破壊・残虐行為などについて、決着がついているわけではないのです。
  中国指導部があまり執拗に日本の責任を追及すると、今度は、それでは、この問題について、共産党は中国の民衆とりわけ侵略の被害者の意思を正当に代表しているか、という疑問に直面してしまうことになります。

  そして一方、日本は、戦争直後から始まったアジアの冷戦のなかで、歴代アメリカ政権の後押しを受けて、国家として、国民社会=市民社会としての支配や戦争の責任について具体的事例についてに法的に明確化し、補償することを回避してきました。
  ことに東アジア国際関係においては、日本の戦争責任や戦後処理、日本の戦後の「保守的民主主義」の正統性の根拠は薄弱なままなのです。日本も中国共産党も、ともに「そこそこのところ」で追及をとどめておきたい「古傷」として残されたままです。

  日本としては「後ろめたさ」もあってこれまでに巨額の経済協力や支援をしてきましたが、「古傷」を古傷として確認しての補償とはなっていません。
  日本政府としては「これほどしてきたのに」という思いでも、相手側の民衆としては「独裁政府が勝手に決着させた」未解決の問題ということになるのでしょう。

  そこから、中国と日本との関係は、特有の「ねじれと緊張」を抱えたまますっきりしません。むしろ、日本はいつまでも「後暗い気分」に取りつかれたままです。
  今、韓国では民主化か進み、市民を「正当に代表する形」の政府となっています。かつて冷戦構造のなかで軍部独裁政権が日本と取り決めた戦後処理が、今あらためて浮上しています。それが領土問題などと絡み合って、アポリア(解決不能な問題)となっています。
  将来、中国のレジームが民主化されれば、同じ問題がもっと大がかりな形で噴出することになるのかもしれません。
  かつてヨーロッパが200〜300年間をかけてようやく「ほぼ解決」まで漕ぎつけた問題が、アジアではこれから噴き出そうとしているのです。
  ヨーロッパ列強の国家形成と同様に日本もまた、明治維新以後の近代国家形成(国家建設)にさいして周辺の東アジア地域の支配と収奪(属領化・植民地化)を条件とした歴史は、今後の日本を呪縛し続けるだろう。

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