映画の物語は、ピノチェト将軍率いる軍部がアジェンデ政権を倒して独裁政権を樹立しようとしている状況から始まる。
場所はチリの首都サンティアーゴ。1973年の9~10月、春から初夏(南半球だから)。軍事政権が戒厳令 martial law を布告し、組織された暴力によって民衆を押圧しようとしている緊迫した雰囲気。そんなシーンから始まる。
チャールズ・ホーマン(チャーリー)は20代半ばで、ニュウヨーク出身でジャーナリスト志望のフリーライター。いま、アジェンデ政権下のチリの社会や政治状況を取材するために、妻のエリザベス(ベス)とともに、この国に長期滞在している。
チャーリーとベスの夫妻のほかにも、アメリカ合州国出身の青年やヴェテランのジャーナリストたちが大勢チリに訪れていた。左翼政権の変革を観察しようとしたのだろう。ところがクーデタ後のいま、概してリベラルな彼らは、軍事政権の乱暴な行動スタイルとチリ社会の混乱を憂慮していた。軍事政権は苛烈な抑圧・弾圧で民衆を封じ込めようとしていたのだ。
アメリカやヨーロッパに軍事政権の横暴にかんする情報を送り出すリベラルな外国人たちに対して、軍部は露骨な脅迫や威圧をおよぼすようになっていた。身の周りに危険が迫っていると感じたチャーリー夫妻も、アメリカへの帰国を計画していた。
そんなある日、友人宅を訪れ帰りが遅くなったベスは、帰宅の途上で夕暮れを迎えてしまった。軍は夜間の一般人の外出を厳しく禁圧し、日暮れ時刻とともに街頭に武装した軍隊や軍警察隊を布陣していた。厳戒態勢のなかで、夜間に街路上に残る市民たちを理由のいかんを問わず片端から拘束・連行し、逃げるものは容赦なく射殺した。
宵闇のなかで行き場を失ったベスは、ある集合住宅のゲイトの物陰に隠れて夜を過ごした。夜明けとともに、市民たちは一斉に通勤や商売のために街に繰り出した。ベスも翌朝早く、家路をたどった。
ようやくアパートメントに帰り着いたが、彼ら夫婦の部屋は扉が壊され、室内も荒され、家具や調度品が乱暴にひっくり返され、書類や書籍は散乱していた。隣人たちの話では、昨夜遅く、軍隊が部屋に押し入り、室内をメチャメチャにしていったらしい。彼らは、兵士たちの剣幕、すさまじい暴力に脅えて、室内に隠れるようにこもりきっていたので、兵士の実際の動きや破壊の光景を目にしてはいなかった。
ただ、兵士たちが引き上げるときにチャーリーをトラックに載せて連行し、またダンボール箱に入れた荷物を押収したことは目撃した。屋内から見ていたのだ。
だが、なぜチャーリーとベスの住居が軍の捜索・破壊を受けたのか?
その日以来、チャーリーの姿を見たものはいない。