いつまでたっても、チャーリーが帰ってこないので、ベスはチャーリーの父親、エドワード・ホーマンに電話連絡した。チャーリーの失踪を知らせ、その結果、エドワード(エド)がチリを訪れ、ベスとともに息子の行方を捜索することにしたのだ。
エドはニューヨーク在住の富裕な中産階級に属するビズネスマンで、政治的には穏健保守派だった。ゆえに、ベイビーブーマーの世代のリベラルな息子とは、世の中に対する姿勢や行動スタイルにおいて何かと対立していた。
息子の世代の若者、ことに大都市の富裕な中産階級の家庭出身の子どもたちは、アメリカの豊かな生活を享受しながら、政府にはあからさまなプロテストをおこない、キャンパスや街頭ではヴェトナム戦争反対とかニクスン政権批判のラディカルな行動をとりがちだった。
息子のチャーリーは、企業への就職もせずに、作家・ジャーナリストをめざすといってアメリカ各地を放浪したあげく、「左翼政権」のチリにまで行ってしまった。堅実な生活を築き、第2次世界戦争中から合州国への愛国心を堅持してきた父親エドから見れば、チャーリーの行動は無責任で無軌道でしかなかった。理解できない「アウトサイダー」だった。
エドは、「アメリカの裏庭」、南アメリカのチリで起きた政変がどのようなものであり、これに合州国政府が背後に隠れてどのように関与したのかに無関心で、無知だった。この時代のアメリカの中産階級の中年世代は、戦後の経済成長のなかで努力して所得や生活水準を上昇させてきたと自負していた。概して豊かな生活に満足していて、貧しいラテンアメリカの政治や社会には関心を向けることはなかった。
だから、チャーリーがやっていたことは、本国でのような無責任な「逸脱行為」で、そのために行方不明になってしまった。つまり、失踪はチャーリー自身の身勝手な行動の結果ではないか、と半ば決め付けていた。
それでも、行方知れずの息子のことは心配だったから、チリを訪れた。サンティアーゴの空港から市街に入ってベスト落ち合ったエドは、彼女に「君たち若者の無軌道で身勝手な行動が悪い」と非難した。ベスは反発し、その後もことあるごとに2人は対立した。けれども、行方を絶ったチャーリーを捜すという切実な目的のために何とか折り合った。
まず2人は大使館に行って、パットナム領事にチャーリーの失踪の事実を伝え、外交的手段をつうじてその行方を調査してほしいと依頼した。