知り合いを訪ねて回るなかで、チャーリーの仕事仲間の女性、テリー・サイモンの話が手がかりになった。取材でいっしょにビーニャを訪れたとき、レストランで偶然退役海軍大佐のアンドリュウ・バブコックと会ったという。彼は、軍籍は外されているが、民間の軍事コンサルティング会社のトップとして、南アメリカにおけるアメリカ海軍の「特殊任務」のサポーターをしているという。
つまり、軍が直接に手を染めることが合州国の内国法に抵触するような活動を、高額の報酬で引き受けているわけだ。パナマやベネズエラなどで政変(多くは軍事独裁政権の出現)が起きるたびに、「偶然」にも、その地に赴いて「商売」をしていたらしい。
バブコックは、これまでにアメリカ軍の兵器や資金を極秘にチリ海軍に送り引き渡す任務や、非常事態における首都での兵員の配置訓練などにかかわっていたという。
チャーリーはこの男と仲良くなり、アメリカ軍部主導でチリ軍部を指導・援助しながら、以前から計画されている「ある計画」に関与してきたことを聞き出した。しかも、チャーリーは、それを人前で克明にメモを取ったらしい。
おりしもその日、サンティアーゴで政変が起きて、首都に向かう道路は閉鎖され、チャーリーたちは戻れなくなってしまった。それで、多くのアメリカ人やヨーロッパ人が宿泊するホテルに泊まることになって、バブコックと出会ったのだ。
のん気なチャーリーは、同じアメリカ人ということで、バブコックやショーン・パトリック大佐など、アメリカ軍関連のルートを利用して、母国に連絡を取ったり首都への帰還の方途を探った。
というわけで、現在進行しているクーデタの背後で蠢く権力装置の周囲でウロチョロすることになってしまった。外部に漏れてはまずい話題が、好奇心旺盛で話好きのチャーリーの耳に集まっていった。
要するに、アメリカ軍の将官、佐官、技術屋、それに群がる「傭兵=コンサルタント」らが、クーデタの前から直後まで、ビーニャに集結し、何らかの作戦らしき計画の検討・打ち合わせ・準備活動をしていたという事実をつかんでしまったのだ。
そんな「危険な」ルートを通って、チャーリーたちはサンティアーゴに帰ってきた。彼は、まったく無邪気に自分の作品の発表の場や創作の機会として、何も知らずにチリの左派の影響力が強い(と当局から見られている)放送局や新聞に近づいていた。彼の署名の記事や制作者クレディット付きの番組が、チリ国内に流されることもあった。
そして、軍事政権が首都を完全に制圧し、抵抗勢力を苛烈な暴力で威嚇・粉砕する段階になった。彼らは、国籍を問わず、チリの左翼勢力にかかわったと見られる外国人を拘束し、国立競技場で尋問し、場合によっては処刑する活動を始めた。これを、アメリカ政府と在外公館は「黙認」したらしい。