さらに深刻な問題がある。政治権力としての「国家」の内実だ。あるいは、社会主義政党の支配の内容の問題だ。
私たちが、現実の歴史のなかで実際に見た「社会主義レジーム」は、おそるべき不平等な階級社会、「超格差社会」だった。特権と不平等は、まるで身分制社会のようだった。
特定の政党の独裁ないし永続的な優位=指導は、きわめて硬直的な特権や権力の一極集中と偏在をもたらし、拡大する。国家の行財政装置のエリートもまた、支配政党、指導政党と融合・癒着し、この構造をさらに極端なものにする。
しかも、支配政党と行政エリート官僚たちは、政治や行財政だけでなく、経済活動(国有企業や国営企業)の圧倒的部分をも支配しているのだ。経済運営の手段をも、自分たちの特権・優位・影響力を再生産する装置として、運用する。
そうなれば、民衆や社会の需要もまた、あるがままには把握できない。彼らの政治的欲求に沿って、歪められて、倒錯した形で把握され、公表され、指標化される。
かくして、生産活動は、国内社会のニーズはもとより、世界市場のニーズにはなおのこと、対応できていないまま無軌道・恣意的に組織され、運営される。
ロシアのような「後進国」では、とにかく国内の経済基盤を最低限度構築するためには、国家主導の開発独裁はまあ有効かもしれない。すなわち初期段階では。だが、世界市場に復帰する段階では、その脆弱性や不適応性が如実に明らかになる。
現に、ロシアでは、階級格差や経済の無政府性は拡大してしまった。本来の目標とは正反対の結果をもたらした。
さて、1970年代当時のチリは銅(や硝石)などの鉱産物を世界市場に供給していた。また、工業でも農業でも、国外から資本や技術を導入しなければならなかった。要するに世界市場に全面的に依存した「国民経済」だった。しかも、技術や資本の提供元の多くは、アメリカの多国籍企業だった。
だが、国有化政策の実施とともに、アメリカ主導の経済制裁が始まった。銅などの鉱産物の価格は下落し、政府の借款利率も上昇してしまった。国内では、経営者層やトラック運輸組合のサボタージュがエスカレイトしていった。
こうして見れば、「国有化」は実現可能な政策ではなかったし、何か効果を生み出す手立てでもなかった。
だが、当時の社会主義者のほとんどは、「国有化」は必要不可欠な政策だと信じていた。
であるがゆえに、中期的視点では、アメリカとしてはアジェンデ政権の暴力的な打倒は必要なかった。経済運営のいきづまりで、いずれ住民多数の支持を失い、合法的に政権は崩壊したであろう。アメリカは、悪辣なピノチェトを駆り立てて、あれほど残酷なクーデタと軍部独裁を樹立させる必要はなかった。
クーデタは、アジェンデ政権=革命の挫折ではあったが、それ以上に、合州国の戦略的視点の欠落、判断の誤りであった。
とはいえ、ニクスン政権とそのエイジェントたちは、すでに見たとおり、ほとんどの戦線でいきづまり、敗北し、追い詰められていて、冷静な判断や戦略的考慮をする余裕がなかったともいえる。
そして、アメリカの多国籍企業も冷戦構造のもとで「国有化=社会主義」という旧弊な図式を信じ込み、それゆえ嫌悪し切っていた。ニクスン政権と多国籍企業との癒着で、かくも残酷なクーデタと反革命劇が演じられた。
してみれば、格差や敵対が抑制され、温和で理性的な資本主義などというものは、幻想なのかもしれない。企業間、国家間の競のなかで、格差や敵対の構造をとことん利用し増幅することで利潤を極大化しようとする傾向こそが「資本主義」だとすれば、そうなるだろう。
キューバでも、チリでも、その後のベネズエラでも、変革勢力が求めたのは極端な格差・分配の敵対性の緩和であり民主主義の拡大だった。それを許容しない多国籍企業の横暴だった。資本主義の世界システムはそれを許さないということなのだろうか。
そうであるなら、究極的に民主主義と資本主義とは両立しえないものということになる。妥協はありえないのか。だが、以下で見るように、社会主義革命なるものが虚像・幻影だったと理解する以上、より温和な資本主義像を求めるしかないと思えるのだが。