ミッシング 目次
原題と原作について
見どころ
あらすじ
軍事クーデタ
アジェンデ政権の苦難の出発
差し迫る経済危機
急ぎすぎた国営化
軍部の動向
クーデタと戒厳令
チャーリーの失踪
チャーリーの父親
浮かび上がる実情
「知りすぎた」チャーリー
恐ろしい「真相」
対   決
チリ「反革命」の構図
政権と軍産複合体の危機感
アメリカ社会の亀裂と「遊民」
「チリ革命」を考える
国有化と計画経済
兵営化した経済計画
チリの状況
「社会主義」は可能か
 
地政学的分析

「社会主義」は可能か

  ところで私は、〈国有化による社会主義〉は失敗すると述べた。「社会主義革命」は、そもそも可能なのか。
  社会主義は可能なのかという問題を検討する前提として、「社会主義とは何か」という問題に答えを出しておかなければならない。これ自体がきわめて難しい。
  というのも、国家と党が率先して資本主義的企業経済の拡大を進めている現代中国さえ、自らを「社会主義」と規定している(この場合は、大笑いだが、「共産党の独裁」こそが社会主義の本質らしい)くらいに、言葉の歴史的意味が「希薄化」しているからだ。
  立場によっては、ナチズムやファシズムとも同義らしい。たしかに、ナチスの正式名称は、「国民社会主義ドイツ労働者党 die Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterspartei 」だったが、ソヴィエト型の社会主義の反対物だと自ら主張していた。

  マルクス以来(マルクス派)の社会主義とは、「資本主義の止揚( Aufhebung )」だとされている。
  「止揚」とは、ヘーゲル派の哲学用語で、「否定」「発展的継承」「反対物への転換」などを同時に意味する用語だ。歴史的に先行する、より低次の体系(システム)の全体性をいったん解体して、新たな、より高次の体系を打ち立てることを意味し、あれこれの素材・要素としては、以前の体系の内部の素材・要素を受け継ぎ、内容的に発展させることを意味する。だが、それぞれの素材・要素の体系のなかでの意味や位置づけは変換されるという。
  要するに、資本主義的システムが発達させた生産技術や物質的な豊富さは引き継がれ、さらに豊かになるが、その権力との関係、所有と分配における位置づけ、経済的内容は転換するというのだ。もとより、20世紀後半に深刻化した環境破壊、資源枯渇、人口の爆発的増加などはまったく意識されず、恐ろしい大量破壊兵器体系などがなかった時代のユートピアだ。

  ユートピア:Utopiaとは、the land of nowhere / the never-landという意味で、どこにも存在しない場所、空想の楽園のことだ。《 U + Topos 》という造語の語尾を、場所を表す《 ia 》に変えた語だ。「トポス」とは本来のギリシア語で「(ここにある)場所」「この国」を意味する。「ウ」はその全否定で、つまり「ない」「存在しない」という意味だ。
  あのトーマス・モーア枢機卿が16世紀はじめ頃、地上のどこにもない土地・国を仮想して、これに仮託して、イングランドの現状の1光景を批判した著書『ユートピア』に由来する。

革命観の転換

  マルクス派は、経済活動における階級格差を縮小、さらには解消をめざしていた。彼らによれば、階級区分は、つまり所得や消費生活での決定的な格差は、生産手段の所有関係が人びとの分配での地位を決定することによって生ずるという。分配の敵対的形態の原因は私的所有にあるということだ。

  そこで、階級格差の解消のためには、所有関係での地位の差の解消が不可欠だという。これは、論理的には正しい。
  だが、財産・資産、要するに富と権力を保有する者たちは、自分の地位の崩壊につながる、そんな改革=転換を許容するはずがない。それで、ときには激烈な暴力をともなう革命闘争が必要になる。この闘争の担い手は、社会で圧倒的多数を占める「持てざる者」=プロレタリアートということになる。

  この理論は、20世紀初頭から断続するロシアでの混乱と革命闘争に、無理やり当てはめられた。「資本主義的経済が発達した西ヨーロッパ」=中核地域ではなく、辺境のロシアで持続する危機と混乱のなかで、頭でっかちの理想家たちがのめり込んだ闘争は、恐ろしいモンスター政体をつくり上げていった。

  ところが、革命の指導者リェーニンは晩年、『国家論に関する覚書』で、ソヴィエト国家を「社会に寄生し蝕み押圧するおぞましい肉腫のような国家」と批判した。

  そして、権力を握った党と国家の支配者は、このソヴィエトタイプの秩序形成こそが「社会主義」だ、とご託宣した。社会主義=ソ連国家レジーム=1党独裁=国有化=計画経済という等式ができ上がった。

  だが、時代が進むにつれて、ヨーロッパでは民主化が進展し、下層民衆にも政治的・市民的権利が拡大されていった。労働組合や民衆の利害をそこそこ代表する政党も、議会に進出して、政治過程・市民社会での一定の影響力を得ていった。ことに、20世紀後半から1970年代にかけて、議会制をつうじての左翼政権の樹立や社会改革が試みられ、この路線の延長線上に「社会主義的」変革の可能性も展望されるようになった。
  しかし、1国単位で社会主義が可能だという幻想は続いていた。

  マルクス派の展望した社会主義が可能になる条件は、最低限、次の2つを実現することだ。
① 世界経済のなかに存在する多数の国民国家(EUなどの地域共同体)の秩序と境界線が消滅して、世界政府ができ上がり、世界の秩序を管理する状況が生まれること。
② 人類が、企業や国、地方ごとの競争を止めること。これは、豊かになろうとする欲望・欲求を、ある一定のところで打ち止めにして、それ以上の拡大再生産を制止すること。
  これに、もう1つ加えよう。
③ そうなるまで、地球の環境と生態系をこれ以上悪化させないこと。
  私には、まるっきり不可能に見える。これは、人類の全員の脳をロボトミーして、知覚や欲望、思考原理を厳格に制限、切り縮めるしか手がない。やはり、社会主義はユートピア――どこにも存在しえない世界――だ。せめてもの願いは、人類文明の破滅を怖れて、資本主義をあり方を抑制することだ。

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