ミッシング 目次
原題と原作について
見どころ
あらすじ
軍事クーデタ
アジェンデ政権の苦難の出発
差し迫る経済危機
急ぎすぎた国営化
軍部の動向
クーデタと戒厳令
チャーリーの失踪
チャーリーの父親
浮かび上がる実情
「知りすぎた」チャーリー
恐ろしい「真相」
対   決
チリ「反革命」の構図
政権と軍産複合体の危機感
アメリカ社会の亀裂と「遊民」
「チリ革命」を考える
国有化と計画経済
兵営化した経済計画
チリの状況
「社会主義」は可能か

「チリ革命」を考える

  ここで、アジェンデ政権が進めようとした「左翼的改革」ないし「革命」についても、社会史的=批判的に見ておかなければならない。
  というのは、ソ連を中心とする「社会主義レジーム」が崩壊してから25年近くを経ようとしている現在、当時の「社会主義」とか「革命」についてのイメイジや構想について、その限界や一面性を把握しておく必要があるだろうからだ。

国有化と計画経済

  ごくごく単純化すれば、当時、「社会主義」とは、社会的・経済的な階級格差を縮小し、経済活動の無政府性を克服するための社会の改造を意味していた。
  階級格差の拡大の原因は、所得=分配の不平等であって、それは所有権の不平等=格差によって生み出される、と見られていた。このこと自体は、理論的には間違いではない。
  そこで、所有や分配の平等化のために、「社会全体の代表」としての国家が所有権を管理することになる。その中心的な政策が、主要な生産財とか企業経営の国有化や国営化だという。ただし、階級支配の装置である国家が、社会主義者が政権を握った途端に「全人民を代表する」装置に転換するという論理には虚偽があるのだが。
  また、経済の無政府性は、以上の所得の不平等の基礎の上で、利潤獲得をめざす多数の企業や個人のあいだの激しい競争が、過剰生産を引き起こしたり、消費不足をもたらしたりすることから、ひどい不況の周期的な襲来は資本主義的経済に必然的にともなうものとされた。

  そこで、経済の無政府性を克服するために、個々の企業のあいだの競争を野放しにすることなく、「社会全体」の需要を把握した中央管理機関が経済活動を計画的に統制する必要が出てくる。つまりは、国家の計画による経済の中央集権的な管理である。
  そして、この計画的管理のためにも、国家が社会の主要な生産手段=生産財を所有ないし統制する必要がある。

  これが、ごく大雑把だが、社会主義化のために「所有の国家化」(国有化)と「経済の中央計画管理」という2つの条件が求められる「根拠」とされる事情だ。
  これは、マルクス派が19世紀の後半に提起した「社会主義革命」の経済的側面における「青写真」といえる。
  マルクスの『資本』の1巻あたりを「荒っぽく」読めば、そういう道筋が概略描くことができるかもしれない。だが、3巻まで読んだ上で、マルクスの「政治経済学批判の体系」の構想を熟考すれば、ことはそう簡単ではないことが、たちまち理解できる。だが、多くのマルクス派は、そこまで思慮深くなかったし、緻密な分析よりも、手っ取り早い政治的なスローガンの方が好きだったようだ。

  何を言いたいかというと、
  つまり、資本主義的なシステムは世界的規模で成立し、利潤と資本蓄積をめぐる競争を強いるシステム、そのための生産と流通、分配は国境をはるかに超えて編成され、機能しているのだ。階級関係にしてもしかり。
  「国民経済」がそれだけで自己完結的に成り立ち運動しているのなら、一国的規模で国家権力を掌握し、主要な生産財を国有化し、中央計画経済を運営すればいい。ところが、すべての国家と国民経済は、世界市場の不可分の有機的な部品というか一環でしかない。所有の経済的内容とか分配の不平等や格差も、経済の無政府性も、世界的規模で、個々の国家や国民経済(見かけ上の境界線)を貫いて、展開しているわけだ。
  一国単位で「社会主義化」をしても、ほとんど何の解決にもならない。

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