ミッシング 目次
原題と原作について
見どころ
あらすじ
軍事クーデタ
アジェンデ政権の苦難の出発
差し迫る経済危機
急ぎすぎた国営化
軍部の動向
クーデタと戒厳令
チャーリーの失踪
チャーリーの父親
浮かび上がる実情
「知りすぎた」チャーリー
恐ろしい「真相」
対   決
チリ「反革命」の構図
政権と軍産複合体の危機感
アメリカ社会の亀裂と「遊民」
「チリ革命」を考える
国有化と計画経済
兵営化した経済計画
チリの状況
「社会主義」は可能か

アメリカ社会の亀裂と「遊民」

  合州国では、多くの青年たちが世の中と自分の人生に気詰まりな雰囲気を感じていた。閉塞感を。
  多数のアメリカ市民が「変革の熱気」に沸くチリにやって来たのは、チリのアジェンデ政権による変革の試みを観察し、報道するためだ。だが、若者たちにとっては、アイデンティティの確認(「自分探し」)という意味もあるだろうが、むしろ、アメリカ本国からの政治的逃避とチャレンジを兼ねた漂泊=浮遊だった。そのくらい、当時のアメリカ社会は、批判精神に富む青年にとっては、息苦しいというか、生きる目的が捜しにくくなっている社会状況にあったかもしれない。

  チャーリーのような青年たちは、思春期にヴェトナム戦争反対運動や黒人の公民権闘争という「社会心理」の大変動を経験した。そして、世界におけるアメリカの地位と威信の相対的低下や景気後退をも目の当たりにした。
  豊かな社会の「中産階級」家庭の子どもとして育った、チャーリーの世代には、大学卒業後、企業社会に溶け込むことができずに、フリーランスの仕事をめざす者が多かった。
  彼らは、その親の世代とは政治的センスや行動スタイルで「外観上」鋭く対立するようになった。親の世代は、思春期から青年時代には、第2次世界戦争後、世界でのアメリカの圧倒的優位や威信の上昇を実感した世代で、冷戦思想の洗礼を受け、マッカシイズムの時代にはニクスンらが主導した左翼の弾圧=「赤狩り」をも横目で見ながら育った。

  60年代末から70年代初頭は、戦後の四半世紀の歴史が鋭く問い直される時期だった。
  チャーリーの世代は、親の収入の恩恵を受けていたため、あからさまにアメリカの豊かさに批判の眼を向けることはなかった。しかし、共和党政権の強硬なやり方や、いまだ国内に根強く残存する人種差別、拡大する社会的・経済的な階級格差に対しては、強い嫌悪感を感じていた。
  おりしも、最先端テクノロジーで武装したアメリカの航空産業、旅客運輸産業は、合州国のヘゲモニーを利用して、その「自由な」物流・旅客運輸システムを、ヨーロッパやラテンアメリカ、アジアなどに拡大してきていた。合衆国政府は、これらの地域の諸国政府と出入国手続きについての「規制緩和」の協定を取り結び、アメリカ人国外旅行とアメリカ企業の国際業務を容易にする制度的環境を用意していた。

  60年代末には、鬱屈を抱えた青年たちは、北アメリカを漂泊していた。いまや、国内で閉塞感を感じた若者たちが、広くラテンアメリカやヨーロッパなど国外に浮遊していく環境が用意された。彼らは、外国を見聞するだけでなく、チャーリーのように、外国で文化交流のために創作活動や執筆活動をおこなおうとする人びとも現れた。

  もとより、映画に登場した女性ジャーナリストのように、アメリカの権力の国境を超えた拡張が、その権力が浸透した国や地域にむしろ紛争や人権抑圧をもたらすということに批判的なインテリも多かった。アメリカがヘゲモニーを握っていて、経済や文化の国際化を主導していればこその結果だった。
  ニクスン派のようなゴリゴリの狂信的な保守派にとっては、こうした高等遊民は、排除すべき邪魔者と映った。ニクスン政権は、チリではピノチェト政権によるアメリカ市民・ジャーナリストへの弾圧を黙認することで、こうした人びとへの恫喝を試みたのかもしれない。追いつめられた政権は、批判派への反撃感情・憎悪で「狂って」いたのかもしれない。

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