ミッション 目次
原題について
考察のテーマと見どころ
あらすじ
物語の歴史的背景
ミッションの物語
ガブリエル神父
奴隷商人メンドーサ
アルタミラーノ枢機卿
インディオとともに生きた修道士たち
ガブリエルという名
南アメリカの「イエズス会布教区」
布教区の滅亡
イベリアの諸王朝の成り立ち
レコンキスタ
ヨーロッパの軍事的・政治的環境の変動
強大な諸王権の出現
ハプスブルク王朝の「大帝国」
できそこないの「フランケンシュタイン」
「国家」が存在しない時代
王権や王国の実態
それでも立派な見栄え
帝国の分裂と反乱
財政危機の深刻化
教会組織の地位とイエズス会
ポルトゥガルの事情
膨張と空洞化の果てに
エスパーニャ帝国の没落
繰り返された王室財政破綻
分裂と反乱、そして帝国の分解
止めどない凋落

分裂と反乱、そして帝国の分解

  1640年には、ポルトゥガルに独立を許してしまいました。

  このときハプスブルク王権は、20年間以上も「ドイツ30年戦争」にかかわっていて、しかも、イタリアとネーデルラントのゴタゴタにも、引き続いて足をとられていました。王室財政が極端に悪化していきます。
  そこで、域内のアラゴン王国とカタルーニャ王国に増税や戦争への協力を無理強いしたところ、大がかりな叛乱が起きてしまいました。
  この叛乱にカスティーリャ王の主要な軍隊を派遣したのですが、その隙につけこんで、イングランドと同盟を結んだポルトゥガルの貴族連合に「王権独立」をしてやられてしまったのです。
  しかし「同盟」とはいえ、このとき事実上、ポルトゥガルはブリテンの「従属国」になってしまいました。以後、この屈辱的な関係は200年以上も続くことになります。

  余談になりますが、リカードの「自由貿易経済学」が提唱する「比較優位理論」は、ポルトゥガルの産業と経済がイングランド資本に従属し続けることを美化して擁護しています。そういう従属の起源は、このできごとに始まったようです。

  話題を戻します。
  しかも、エスパーニャ王国の分裂と混乱に乗じて、フランス国境のカタルーニャやピレネー方面には、フランス王と貴族の同盟軍が侵入してきて、破壊と掠奪のかぎりを尽くします。カスティーリャ王権としては、手の出しようがありません。

止めどない凋落

  見栄えの立派なエスパーニャの没落はその後も止まりませんでした。
  1700年には、エスパーニャ王室ハプスブルク家の王位継承者はついに途絶え、翌年、王位はナバーラ家のフェリーぺ5世が獲得しました。フェリーぺは、それまでハプスブルク家が敵対していたフランス王ブルボン家の分家の血筋だったのです。
  こうして、エスパーニャに対するフランス王権の影響が強まることになりました。弱体化したエスパーニャはフランス王権に従属しがちな王国になっていきます。

  そして、20世紀のフランコ独裁政権が登場するまで、エスパーニャは国家としての統合が欠如した分裂状態が続きます。フランコ政権の統合はファシズムによる無理やりの締め付けにすぎませんでしたが。
  今日でもヴァスクやカタルーニャ地方の住民が、何かにつけてエスパーニャからの分離・独立を要求ないし標榜するのは、もともと「国民」としての統合を経験したことがないという経験=歴史が背景にあるからです。

  さてそうなると、18世紀はじめには、イタリアやネーデルラント、さらにアメリカ大陸の広大な植民地にも、ブルボン王朝の支配の手がおよびかねない気配になりました。
  こんどは、一躍ヨーロッパの超大国になるかに見えるフランスに対して、ブリテン、ネーデルラント、オーストリアなどが、気まぐれな同盟を組んで、立ち向かうことになったのです。強くなりそうな者の足を引っ張る。これこそ、勢力均衡思想の真髄です。

  それから1世紀以上にわたって、大西洋貿易とアメリカ大陸植民地をめぐっては、エスパーニャとフランスの連合に対して、イングランドを筆頭とする連合が敵対・対抗する構図ができ上がりました。

前のページへ | 次のページへ |

総合サイトマップ

ジャンル
映像表現の方法
異端の挑戦
現代アメリカ社会
現代ヨーロッパ社会
ヨーロッパの歴史
アメリカの歴史
戦争史・軍事史
アジア/アフリカ
現代日本社会
日本の歴史と社会
ラテンアメリカ
地球環境と人類文明
芸術と社会
生物史・生命
人生についての省察
世界経済