俺たちは天使じゃない 目次
力作のリメイク版
原題について
見どころ
あらすじ
ネッドとジム
仕方なく脱獄
国境の町で
修道院で
母子との出会い
狭められた包囲網
「涙の聖母像」の奇蹟!?
話題の脱線
祝祭行列でのハプニング
ジムの演説
死刑囚との対決
ネッドの献身
それぞれの道を行く
この映画のあれこれ
  絶妙のコンビ
  修道院の造り
おススメの記事
デニーロ出演作品
ミッション
1900年

母子との出会い

  さて、ネッドは町に出て物色し手回り、どうにか大きなカッターを盗んできた。足首に残された足枷の輪を断ち切るためだ。そのままネッドは修道院に戻り、告悔室――神父はその聴悔ボックスの側に入る――のなかに隠れて、カッターで足枷の輪を切ろうとした。
  ところが、告悔室に神父がいると思った警官の1人が、ネッドのいる告悔室に入って、懺悔を始めた。
「私は妻がありながら、別の女と寝てしまいました。」と言って、聴悔の神父に助けを求めてきた。
「妻には知られていないのか。いないのなら、それいいじゃないか。だが、もう2度としてはいけない」と返答。 ところが、「しかし、その誘惑には勝てないのです…。邪悪な欲望の虜になっているのです。どうか、助けてください。私を、そして、その女の罪も戒めてください。そうだ、今からその女のところにいっしょに行ってください」と警官は言い出し、ネッドを強引に連れ出して女(モリー)のところに連れていった。

  その女はうら若い寡婦(シングル・マザー:デミ・ムーア)で、女手一つで聾唖の娘を育てていた。洗濯屋が生計の道らしい。町の住民から洗濯物を預かって洗っている。けれども、十分な収入がないので、母子が生きるために5ドルで言い寄る男たちに春を売っているようだ。
  障害者の娘を抱えて苦労しているのだ。
  モリーは、新婦を連れてきた警官を罵倒して追い返した。
「神罰も地獄も怖くないよ。今、この世での救いがほしいんだ。神父さん、何とかしてくれるの?!」と食ってかかった。「5ドルおくれよ。5ドルくれるんなら、神父さんとだって寝るよ!」
  あまりの勢いに、ネッドは逃げ出した。

  だが、その途中、敬虔な中年婦人から「修道院に」ということで、5ドルの寄付を受けた。ネッドは、この5ドルがあれば、あの女性はいく分でも救われると考えて、モリーの家に戻った。そして、5ドルを手渡そうとした。まったくの善意だった。
  だが、モリーはそれと引き換えに「相手をしろ」と要求しているのだと勘違いした。 「私は心を入れ換えたんだ。もうやらないよ、5ドルなんかいらないよ」
  いや、溜まっていた憤懣を吐き出してしまったモリーは、自分が改心することで聾唖の娘に奇蹟を起こしてもらいたいという気分になったようだ。神父の姿を見たせいだろうか。


  それにしても、激しく変化する女の心と剣幕に戸惑って、ネッドは逃げ出した。そして、ジムと落ち合って、今度は神父の服装で橋を渡ろうとした。2人は祈祷書を読み耽る振りをしながら、橋に向かった。
  橋の袂では、厳重な検問・警戒態勢が敷かれていた。そのため、橋を渡ろうとする近隣の人びとの長い列ができていた。
  ネッドとジムは顔を隠すように祈祷書を顔に近づけて読み耽る。すると、先ほどネッドを相手に懺悔した警官が出てきて、検問をパスさせてくれた。そして、2人を善導するように案内してくれた。何と言う幸運。
  と思いきや、そこに聾唖の娘を連れたあの女性が現れた。ネッドに追いすがって、「改悛したのだから、この娘に神の奇蹟を呼び起こしてくれ」と要求してきた。その剣幕は、神への願いを通り越して、神への要求、いやむしろ強要、恫喝に近いものだ。「母は強し」だ。それほどに、娘を深く思っているということか。
  しかし、ネッドとジムには迷惑この上ない。あと少しで対岸に渡れるのに、女性が取りすがってくる。

  そのとき、2人が逃げ出してきた刑務所の所長たちを乗せたボウトが川を遡行してきた。そして、橋の対岸近くに上陸。しかも、2人の衣服の匂いを覚えさせられた獰猛な犬を何匹も引き連れている。牙を剥き出しにした犬を連れた所長一行は、橋に近づき、こちらにやって来る。
  2人は恐怖で竦みあがった。で、踝を返して戻り始めた。それでも、女は取り縋ってくる。2人は怖くて走り出した。ようやく町に戻った。
  すると女は、買い物を思い出し、2人に娘の番を言いつけて、雑貨屋に入っていった。2人はしばらく、娘のそばにいた。

  その場所の背後の建物の壁には、脱獄した3人の顔写真つき手配書(ステッカー)が貼られていた。娘は何気なく、その手配書を眺めて、そして写真と2人の顔を見比べた。聾唖でも、頭は悪くない娘だ。「この2人は、ステッカーによればコンヴィクト( convict :ここでは「脱獄囚、追捕を受けるべき人物」という意味)だ」と娘は記憶した。
  もちろん、聾唖者なので、そのことを人には話せないし、5、6歳では「コンヴィクト」の意味も理解できない。だから、2人を怖がるそぶりも見せない。それでも、その年頃にはものすごい勢いで言葉とか物事を覚え習得するから、「この顔=コンヴィクト」という記憶が脳裏に焼つけられたことは確かだ。

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