さて、ある日、司法長官は自分の執務室にFBI長官を同席させて、この一連の事件について最後の決裁(政治的決着)をおこなうことになった。そこには、FBIニック・メンフィス捜査官、そしてジョンスン大佐が召喚されていた。
パイプライン敷設に反対した村人たち全員が虐殺され埋められた事実は、現場の地面を掘り起こして証明された――ただし、容疑者は特定できなかった。大司教の暗殺もこれに関連していたことも確証を得た――これまた実行犯は特定できず。
そのうえに、ペンタゴンからの横槍で、ジョンスンの取調べはできなくなった。
だが、狙撃事件へのボブの関与は冤罪であることが証明された。
この事件でボブが使用したとされた愛用の狙撃銃の撃針シリンダーは、ボブが山小屋から出るさいに引き抜かれて、代わりにスティール製のバーが挿入されていたことが判明したからだ。この状態では、引き金を引いても薬莢にインパクトを与える撃針がないからだ。
仮に火薬が発火しても、ライフルシリンダーへの穴は鋼鉄のバーによって完全に塞がれているから、銃弾は飛び出さない。
こうして、無実が証明されたボブは釈放されることになった。
だが、ニックはいきり立った。彼の丹念な捜査と検証で、あらゆる状況証拠がジョンスンが率いる軍事顧問会社の仕業であることを示すことが明白になったにもかかわらず、ジョンスンは大手を振って出て行った。
だが、ボブの去り際に、司法長官が耳打ちした。司法組織が与えることができない処罰を下す神がいてもいいと思う、と。つまりは、専門家が証拠を残さないようにジョンスンやミーチャムを始末すれば、あと腐れがないというわけだ。
ボブが個人的にジョンスンたちのグループに復讐をおこなっても、ペンタゴンを含む政府組織としては咎め立てしないということなのだろう。司法省としては犯罪を企図実行した個人や集団を罰することができたことになるし、ペンタゴンとしては生き証人を消してもらえるわかなのだから。
こんな乱暴な示唆は、現実にはありえないが、まあ娯楽アクション大作だ。フィクション、フィクション…。
で、物語は、大昔の勧善懲悪の西部劇のような終わり方になる。
数か月後、モンタナの山岳部の瀟洒なロッジ。周囲はすっかり雪に覆われている。室内には暖炉の火。
ロッジのなかでは、ジョンスンとミーチャム、そして側近たちが、勝ち誇った気分で酒のグラスを傾けていた。FBIと司法省には、煮え湯を飲ませることができたからだ。そして、ペンタゴンの暗黙の後ろ盾も継続している。
というわけで、ジョンスンは傭兵団を率いて、次はラテンアメリカでの「汚れ仕事」に赴くという。ミーチャムとジョンスンは、笑顔で酒をあおった。
そのとき、ロッジの電源が落ちて、外から銃弾が飛び込んできた。ボディガードが倒された。次の瞬間、銃弾は床下から撃ち込まれてきた。側近が脚を撃ち抜かれた。ジョンスンも撃ち殺された。
そして、ボブが室内に乗り込んできた。側近は、命乞いも虚しく殺された。
この期におよんでもまだ取引きを持ちかけるミーチャムもまた、射殺された。
ボブは部屋のなかの面々を殺した拳銃をジョンスンの手に握らせた。そして、ガス栓を全開にしてロッジから出た。室内の暖炉は勢いよく燃えていた。
ボブがロッジから歩いて20メートルくらい離れたとき、ガスが充満したロッジは爆発炎上した。
車に戻ったボブは「これで片付いた」とサラに告げた。雪の道を車は走り去った。
というわけで、物語は終わる。
ミーチャムとジョンスンたちが抜けた場所は、いずれ別の誰かが埋めるだろう。軍部の闇の副業が、非公然のビズネスとして継続される限り。
個人や集団の言動や物語を面白く活劇風に描く物語としては、こういうふうに終わらせるしかないだろう。軍産複合体の闇の副業の仕組みや「愛国心」や「国家の安全保障」というスローガンで洗浄に兵士が派遣される仕組みが、どれほど酷薄なものであるかを描き出した傑作だ。
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