巨大生物は河川や運河沿いに蛇行して前進するだけで、映像的にはさして見栄えのする動きではない。
そして、突然に東京湾遺出現した理由も、河川や運河沿いに都心部に向かって進む理由も皆目不明だ。姿もとぼけているが、動きも人を食ったようにものぐさだ。ただ、クネクネとうごめくだけ。
『シン・ゴジラ』では、この巨大生物の東京湾出現の理由、東京上陸の理由も人類の側から問われることも、推定されることもない。
ただ現れないと物語が始まらないから現れた、すこぶるご都合主義、場当たり的なもので、状況設定も何もない。
ただ、この巨大生物が突然変異によって生まれた原因が1950年代の核廃棄物の海洋投棄で、この生き物がそれを食べてミューテイトし巨大化した、ただそれだけの経緯が語られるだけだ。
アメリカなどの核実験が発生原因でもない。
そして、放射線による突然変異によって巨大化したものの、1954年版の「初代ゴジラ」のように凶暴化したとか、やたら攻撃的になったというわけでもない。人類を憎んでいるとか敵対生物あるいは捕食相手と見なしているわけでもないようだ。
巨大生物としては、人間が自分たちの文明を守ろうとして兵器=軍事力によって攻撃してくるから防御運動するだけのことなのだ。
だから、巨大生物出現の初期局面で、人類がただ手をこまねいて傍観していたら、熱光線を放射することもなく、ただ東京を歩くだけ歩き回って、破壊し蹂躙して去っていくだけのことだったのではなかろうか。
このように、この物語はゴジラについて感情移入する状況設定はまったくと言っていいほどない。
とはいえ、首都東京の構築物は文明装置であって、人類が社会生活・経済活動を維持するための環境には違いない。それをものぐさな運動で破壊しまくる巨大生物は、人類側の尺度では害獣であり、駆逐・駆除の対象となる。
とはいえ、最初の上陸のさいの日本人の動きは茫然自失の傍観、うろたえているばかりだ。
とかくするうちに、巨大生物は運河沿いを這いながらまたもや進化し、形態転換した。後肢が発達し筋肉も強化され、危なっかしい直立歩行がかろうじて可能になった。体長は60メートルくらいまで成長した。
そうかと見るや、部分的に退化というよりも後退進化して、運河沿いに東京湾に戻っていった。どうも地上の環境に適応した進化ができなかったらしい。
映像としては、進化による姿態の変異のさいに、瞬間的に体表面の身体組織が細かく振動し、流動化して形態が変化していく場面は圧巻だ。
昆虫の蛹化や羽化のさいには、外殻(外骨格)の内部の身体細胞がどろどろに溶解し流動化し、遺伝子プログラムによってゆっくり再組織化されていく。だが、外殻をもたないゴジラは、身体部分が振動し流動化して瞬間に形状が変異していくのだ。
その瞬間場面の映像のつくり方はみごとだ。