ゴジラは、アメリカ空軍の2波におよぶステルス編隊による爆撃を退けると、エネルギーを使い果たしてしまった。そのため、まるで凍結したように身体の一切の動きを止めてしまった。ただし体内の奥では核分裂反応がゆっくりと進行して、エネルギーを蓄えているようだ。
米軍と科学班の推定によれば、ゴジラが反撃で消費したエネルギーの推定総量から見て、ふたたび動き出すまでに360時間(15日間)は必要だろうと見積もられた。 アメリカは国連の安全保障理事会に諮って、自国軍を中心にゴジラ撃退のための多国籍軍を編成し、360時間後に熱核攻撃をおこなうという作戦計画を決議させた。
もちろん、核ミサイルを発射するのは米海軍の原潜だ。
そして、その期間内に当該域内の住民360万人を全員避難させるように、日本に一歩的に通告した。
つまり、日本川にとって、東京への熱核攻撃を避けるためには、この期間内に別のゴジラ撃退対策を構築して実行するしかないということだ。
国連安全保障理事会を代表する合衆国政府からの通告を受けたのは、臨時首相代理の里見祐介だった。農水相だった彼は、幸運にもこの間外遊中で、ゴジラの熱核光線を浴びる難を逃れていたため、ただ一人生き残った現職閣僚だったことから、ゴジラ対策のためだけの「つなぎ役」として、臨時首相代理を押しつけられたのだ。
里見は権力闘争でのし上がった実力者ではなく、普段穏やかで党内に敵がいなかったので、おそらく年功序列という旧弊な慣行で農水相に就任したのだろう。穏忍自重を絵にかいたような人柄だ。
彼は、アメリカからの核攻撃を仕方なく受容した総理として歴史に名が残されることに強い拒否感を示していた。
強運で生き延びることができた政府内の人物としては、ほかに首相補佐官の赤坂、そして矢口がいた。赤坂は巧妙に里見に取り入って内閣官房長官代理の地位を得て里見を誘導し、事実上、政府の運営を采配する役割を演じていた。彼は国連安保理の要求を飲み熱核攻撃を容認した方が、ゴジラ撃退後の復興支援や財政支援を国際社会から受けやすいからという理由で、首相に熱核攻撃を受容させていた。
一方、矢口はゴジラ対策の実務上の責任者として特命大臣の地位を与えられた。だから、彼が組織した研究班を思い通りに動かすことができるようになった。というよりも、そうすることで、米軍の核攻撃よりも前にゴジラを撃退する対策を準備して実行するしかないという立場になった。
アメリカ政府は、核攻撃の目標となった東京にいる大使館員や特使として派遣したカヨコ・パターソンに離日帰国を命じた。だが、カヨコは矢口に会って、アメリカのあまりに一方的な作戦方針にできるだけ抵抗し、日本に3回目の核爆弾を投下するという愚を犯させないように奮闘する意思を示した。