シン・ゴジラ 目次
政治劇のテーマ…ゴジラ
見どころ
謎の巨大海洋生物の出現
「ものぐさ巨獣」の退散
多摩川の「決戦」
アメリカの動き
ゴジラのエネルギー代謝
恐るべきゴジラの反撃
内閣(政府中枢)の消滅
熱核攻撃まで15日
ヤシオリ作戦
ゴジラ凍結!
政治劇としての印象
ゴジラの形状特徴について
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風の谷のナウシカ
2014年版ゴジラ

ゴジラの形状特徴について

  この作品のゴジラは、これまで作品のなかで最も醜悪だ。まるで無数の生物の死骸や残骸を寄せ集めてつくられたような外皮。
  凶悪なのではなく、とにかく醜悪だ。憐れみを感じるほどに醜くつくられている。
  その外皮は、これまでのゴジラがそうであったように強靭な鱗に覆いつくされているわけではない。全身は焼けただれたケロイド状の醜い鱗――または鱗の残骸というべきか――に覆われているが、ところどころ剥落していて、鈍い赤色の表皮が剥き出しになっている。
  言ってみれば、核爆弾を浴びて体表面の鱗や組織が焼けただれたような印象を与える。印象は死体だ。焼けただれ腐乱寸前の遺骸にょうな姿だ。

  この第4形態のゴジラ――この映画のなかでは完成形ないし最終形態――は、原初の形状を受け継いだのか、全脚は発達不良のように貧弱だ。前脚が使わないから退化したのか!?
  ティラノサウルスの前脚のように。
  それ以前の作品のゴジラのように、腕を振り回して闘争したり、防御したり、破壊したりすることはない。だから、「掌」を上向きにしたような引き攣った形で固定されている。まるで核爆弾の熱で焼きつけられてしまったかのようだ。

  ことほどさように、このゴジラは身体的な運動としては直利してのそりのそりと歩くだけ。ときどき身体をくねらせたり、尾を振り回したりするが、その身体の動きを例えば高層ビルの破壊に用いることはない。
  破壊活動は口や身体、尾の先端からの熱核光線だけでおこなう。
  つまり、身体構造はおそろしく巨大だということを除けば、攻撃や破壊に用いるようなスペックではない。もちろん、巨体だから後肢が当たったり、足で踏みつけられたりすればビルや橋、道路は容易に壊れてしまう。しかし、その動きでは、ゴジラは破壊しようという意思や意図をまるで見せない。
  ただゴジラが「ものぐさ」に歩いた結果として、港湾や道路や建物は破壊されるだけなのだ。 このように生気に乏しい身体運動をするだけだから、覇気に乏しいこと夥しい。
  外見形状からすると、これまでで最も貧弱なゴジラだ。その一方で、熱核光線の放射による破壊力と凶暴性はすざまじい。

  では、映画制作陣は、このように、これまでのイメイジを吹き飛ばした奇妙・珍妙なゴジラの姿を提示したのはなぜなのだろうか。いかなる目的や意図をもって、このようなゴジラを登場させたのか。
  ただ観客の意表を突くためか。
  それとも、兵器や動力源として核エネルギーに大きく依存してきて、さらにいまだに深く依存する人類とその文明の醜悪さを表現するためだろうか。
  日本のゴジラ映画では、その版ごとに特有のゴジラの形状が造形されてきた。動物としての存在感や習性や強調するヴァージョン、凶悪性・凶暴性を剥き出しにするヴァージョンなどなど。

  ところで、今回のゴジラの発生原因、つまり突然変異――怪物化ミューテイション――の原因は、海洋に大量に投棄された核廃棄物であって、アメリカの核実験ではない。
  1991年の『ゴジラ対キングギドラ』では、ラゴス島近隣での核実験で誕生したゴジラは、タイムトラヴェルと歴史の書き換えによっていったん消滅し、のちにベーリング海の核廃棄物による突然変異の結果として、以前よりも3倍近く巨大化し、はるかに凶暴になって再出現した。
  それでも、このときは1954年版のゴジラが前提になっていた。
  しかし、ハリウッド版では第1作1998年版では、フランスのムルロワ環礁での核実験で海イグアナの突然変異でゴジラが生まれた。
  ところが、2014年版第2作では、ゴジラは古生代から生存し続けてきたことになっていて、核による地球環境の汚染が強まると出現してムートウと戦うことになっている。ここでは、「人類史にとっての核兵器の意味」という文明史観がごっそり抜け落ちている。

  『シン・ゴジラ』はゴジラの発生原因としての核兵器や核廃棄物という文脈は復元された。とはいえ、日本のゴジラ映画の土台にあった《1954年のビキニ環礁での水爆実験による被爆》という核心的なファクターは消えている。
  今回のゴジラは、物語そのもののなかでは、その《前史》をすべて消し去って、はじめて地上に出現したという状況設定になっている。ただし、第2次世界戦争でのアメリカによる2回の核爆弾投下という歴史は物語のなかで描かれる。そして、敗戦の結果、日本はアメリカに全面的に軍事的に従属するという構造は、物語の決定的なファクターになっている。

  これは何を意味するのか。 1954年の核実験や核兵器だけでなく、原発も含めた核エネルギー全体について強い文明史的な批判を込めようとしたのか。
  私としては、悲惨なほどに醜悪なゴジラ像を提示した理由は、そこにあるような気がしている。

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