低所得階層が大半を占めるイーストハーレム地区の小学校での課外ヴァイオリン教室は、ロベルタに、子どもたちと音楽教育をめぐるじつにさまざまな問題を提起していくことになった。ほとんど親たちは日々の生活の糧を得るために忙しくて、とても子どもの躾や教育には期を回す余裕がないのだ。
教室は1週間のうち何日か、授業科目のない午後におこなわれることになった。
まず、教室に参加した子どもたち。課外ヴァイオリン教室が教育の一環である限り、ロベルタの理想よりも、まず受講者である子どもたちの音楽への関心や学習意欲を引き出し、それぞれのレヴェルにあったステップアップを目指さなければならない。
そうして、彼らの心理や行動スタイルを教室の目的や方針に沿って徐々に変えていかなければならなかった。というのも、彼らは、高給取りの海軍士官の家庭で育ったロベルタの息子たちとは――まるきり異なる社会的・家庭的環境に置かれているので――かなり違った心理や行動を取った。
要するに、何よりもまず貧困地区の家庭生活や近隣生活では「まともな躾」ができていないので、子どもなりにしかるべき秩序や規律を重んじる態度ができていなかった。学習や芸術に集中して取り組む習慣もなかった。「自由」とは名ばかりの無軌道、無規律、放縦放恣が罷り通っていた。
最初に子どもたちにヴァイオリンを手渡すときのことだった。ロベルタが扱い方を教える前に、子どもたちは好奇心のままに勝手にケイスを開けていじり回す、弓でチャンバラをする、ウクレレのような弾き方をする…とまあ、勝手気ままに動き出した。ここで、ロベルタの芯の強さが発揮された。
ロベルタの注意や指導を無視する男の子(黒人)1人を教室から退去させた。
学ぶ態度がまるきりできていない児童だとはいえ、子どもたちは自分の希望で教室に参加してきたのだ。だから、教室から追い出されるのは、大きなショックだった。指導者が求める規律を守る必要を思い知らされた。こうして、子どもたちは、「音楽を学ぶための最小限度のマナー」を守ることを要求された。
翌日、ロベルタはヴァイオリンの部品の名称や扱い方を教えた。だが、半分近くの子どもたちは、ロベルタの説明を集中して聞いていなかった。教師が熱心に教えてくれる内容の大切さがわかっていないのだ。内容を受け入れることができるまでに成長していないのだ。まあ、私自身の子ども時代を考えれば、そんなものだった。
それでもロベルタは、弓の扱い方、本体の弦の調節方法などを根気よく教えていった。
次に立ち姿勢。足の位置や体形は、安易に崩れない安定した姿勢でヴァイオリンを持つ――首、肩、腕、手の形と配置――ために不可欠だからだ。右足と左足とを互いに直角になる位置に置くこと…。片方の腕と肩に楽器を載せて顎で押さえて利き手で弓を引くという不自然な姿勢を保つための姿勢の構え方は、ともかくも演奏を短時間でも続けるために欠かせないものだから。
だが、なかに足の不自由な少女、グァダルーペがいた。直立したままでは、姿勢を支えきれないのだ。そこで、ロベルタは椅子を用意しようとした。すると、普段はロベルタの言葉をからかったりする男の子、デショーンがまっ先に椅子をグァダルーペに運んできた。デショーンは、大人や仲間に対してひねくれた態度を表に出すけれども、心根では純真で思いやりがあることがわかった。
ところが、教室が始まってすぐに脱落者が出た。子どもたちのなかで最も熱心にヴァイオリンの学習をしていたナイーム(黒人の男の子)が教室に来なくなったのだ。レッスンの終了後にロベルタは学校を出た。いく人かの親たちが低学年の児童を迎えに来ている。
そのなかにナイームと彼の母親がいた。ロベルタは2人に近寄って、どうしてヴァイオリン教室に来なかったのかと尋ねた。ナイームはヴァイオリンを習いたいと言った。だが、負けん気の強そうな母親が、「この子には習わせない」と言い切った。理由を尋ねるロベルタに、母親はこう「政治的論陣」を張った。
「白人の芸術をこの子に学ばせるつもりはない。クラシック音楽では黒人の作曲家や偉大な音楽家なんていないじゃない。そんな白人の文化を受け入れるつもりはありません!」と。
その後も、ときおり、母親とロベルタは論争を繰り返した。ロベルタの反論は、「あなたはナイームの夢や希望を理解していない」だった。