それから10年後。ロベルタは第11期生徒を募集することになった。
いまや、ロベルタのヴァイオリン教室は3つの学校に広がり、募集者数の何倍も応募者=希望者が押し寄せる名門課外コースになった。受講生数は150人。
教室受講者の応募説明会には、たくさんの子どもたちが押しかけてきた。競争率は3倍を超えているように見える。説明会で応募者に書類を配布して、保護者連署で受講申込書を記入・提出してもらい、抽選で受講者を選ぶということになった。
誰もが切実に受講を望んでいた。
帽子に入れた彼らの応募書類のなかから、ロベルタが無作為に抽出するのだ。
11年目に入ったロベルタのヴァイオリン教室に注目して、取材を始めた女性のフォトジャーナリストがいた。ドロテア・フォン・ヘフテン(ドイツ系)で、彼女の夫はアメリカでも屈指のヴァイオリニスト、アーノルド・スタインハート(これまたドイツ系)だ。
彼女は、ロベルタの活躍はもとより、子どもたちの姿を追いかけた。
生徒のなかにヒスパニック系移民家族出身のラモン・オリヴァスがいた。最も熱心に教室への参加を希望した少年だ。移民2世の彼は、とにかく努力家で、素直。ロベルタの言葉どおりに毎日、家で練習した。
「家の部屋の壁のヴァイオリンを持って立った姿勢で見れる位置に楽譜を貼るのよ。それを見ながら、弾くこと」とロベルタは言った。
その夜、ラモンは部屋の壁に自分で書き写した楽譜を貼った。
何しろ貧しい移民家族の住居だ。狭い所に何人もが暮らしている。その一角を仕切ってラモンの部屋にしている。だが、薄い間仕切りとドアでは遮音効果はなく、ラモンのヴァイオリンの音は家じゅうに響き渡る。
何しろ習い始めで、音程がくるっていてひどい音が毎晩響く。テレヴィを見ている家族にとっては、しばらく拷問にも等しい苦痛=受難の時間が続きそうだ。家族の1人の若者は、ヘッドフォンをしたが、それでもたまらず、クッションを頭にかぶるしかなかった。
でも、自室で壁の楽譜を見つめて一心にボウイングするラモンの眼差しは真剣そのもの。プロの演奏者顔負けの表情だ。だから、誰も迷惑な音を出すラモンを邪魔しない。
日々の努力が物を言って、ラモンは急速に上達していった。
そのラモンの上達・成長を羨望し、ロベルタに褒められるのを嫉視する黒人の少年がいた。ジャスティン・ブレイディだ。彼はしょっちゅうラモンにちょっかいを出して喧嘩になる。頭にきたラモンは「お前なんか死んじまえ!」と言い返した。
ところが、それからしばらくして、ジャスティンはギャングの銃撃戦に巻き込まれて死んでしまった。
ラモンはひどい衝撃を受けた。「ぼくが死ねと言ったからかもしれない」と悩み落ち込んだ。その落ち込みようを心配したロベルタは、彼の自宅を訪ねて慰めた。
「私もジャスティンに厳しい叱責をしたのが、心残りよ。
でも、あなたの言葉のせいでジャスティンが死んだわけではないわ。だって、あなたにそんな力があるわけないもの。もしあったら、今頃あなたはヴァイオリンの名手になっているはずでしょう」
「うん、そうだね。先生よりも上手になっているよね」
「こういうときは、泣いてもいいのよ」
「男なのに?」
「私の息子たちはすっかり大きく逞しくなっているけど、いまでも悲しいときは泣くわよ」
ラモンはロベルタの胸にすがって泣いた。
この物語は、こんなふうに、ウィットと涙のシーンが交互する作品なのだ。上品なユーモアと感動が、心に響く作品なのだ。