第2章 商業資本=都市の成長と支配秩序
第7節 世界貿易、世界都市と政治秩序の変動
この節の目次
ヨーロッパ的規模での遠距離交易ネットワークの形成によって、多数の都市、多数の君侯・領主層はひとまとまりの経済的物質循環のなかに取り込まれた。諸都市のネットワークは水平的な関係ではなく、経済的再生産における権力や力能は諸都市のあいだに不均等に配分されていて、諸都市、諸地方のあいだの支配=従属のヒエラルヒーが形成されていた。
このヒエラルヒーの頂点は、13~15世紀には北イタリアにあった。大構造としては、この頂点は北イタリアからネーデルラントの方に移ろうとしていた。だが同じ頃、部分構造として、ネーデルラントと結びつきながらヨーロッパ北部=バルト海方面の貿易体制が発達してリューベックを中心とするハンザの通商山脈が隆起した。15世紀末からは、イベリア方面が活性化した。
このように世界市場が組織されていく過程で中心となる都市が世界都市である。世界都市は遠隔地の再生産に強い影響力をおよぼすのだが、その頭抜けた購買能力・消費需要、供給を組織する能力によって近隣の諸地方に圧力をかけ、それらの資源を自分たちの利益の実現にむけて動員しようとした。
他方で、多数の君侯領主層の家産経済や支配領域が通商ネットワークに引き入れられた結果、領主制支配のためのコストとリスクが著しく上昇してしまった。彼らにとって、一方では、奢侈欲求や権威を見せつけるための消費がうながされ、他方では、権力闘争で生き残るため、より優秀な兵器や遠方の情報を入手しなければならなくなった。このコストとリスクをまかなうために、君侯・領主のあいだでの支配圏域の拡大・争奪戦がさらに展開されるようになった。この生き残り闘争が、また商品生産と流通の成長に刺激を与えた。
そしてこの闘争の帰結は、より少数の君侯・上級領主のもとへの権力の集中、支配圏域の拡大であって、小さな政治体を吸収統合して領域国家の形成に向かう動きだった。こうして生まれた有力な領域国家は、世界都市や都市同盟を抑え込めるほどの力量を備えるようになった。北イタリア諸都市のようにエスパーニャで利率の大きな王室金融に手を染めて、自分たちを圧迫することになる王権の成長を加速することにさえなった。
こんどは諸都市が、こうして権力と統治圏域を拡大した有力君侯の支配に服することになるか、あるいは彼らのあいだの権力闘争のなかに巻き込まれ、この闘争のなかで生じた力の隙間でかろうじて自立の道を探るしかないということになった。
大まかにみて、14~15世紀のヨーロッパには融合しつつある2つの大貿易圏とそれらに付随する2つの圏域――つまり4つの貿易圏があった。
大貿易圏の1つめは、バルト海地方とドイツ北部から北海を取り囲むイングランド南部、フランデルン、ライン下流と河口付近におよぶ貿易圏で、内陸のマクデブルク、ニュルンベルク、ブレスラウ、クラカウ、プラーハ、ドーナウ地方のヴィーンまで交易路を伸ばしていた。
2つめは地中海貿易圏でアナトリア半島とバルカン半島からイタリア、南フランス、地中海の諸島、北アフリカ、イベリア半島南部を結んでいた。
3つめは、古くからバルト海方面とは結びつきながら、フランデルンから北フランスとビスケー湾を経て大西洋沿岸をイベリア半島南部までたどる貿易圏だ。
4つ目として、ヨーロッパの南と北の大貿易圏のはざまにあって、地中海とフランデルンを連絡する内陸交易路に沿って北イタリアからアルプス東回りにオーストリア、南ドイツ、ラインラントを結んでフランデルンにいたる通商圏があった。
4つの貿易圏はそれぞれ体節のように相対的にまとまった構造をなしながら、いまや1つの全体システムに融合しつつあった。これらの圏域それぞれを貫いて縦横に走る幹線交易路は、各地の有力諸都市、港湾を結節点として絡み合いながら、低地地方のフランデルンを軸心とするように収斂・連結していた。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成