補章―3 ヨーロッパの地政学的構造
――中世から近代初期
この章の目次
ここで、世界市場と諸国家体系の形成過程が展開していく舞台となる「ヨーロッパ」の地理的空間の構造を素描しておこう。この作業には、次のような含意がある。
ヨーロッパ諸国家体系の形成史についての私たちの考察射程は13世紀から17世紀におよんでいるが、14世紀に転換期を迎えるヨーロッパの社会変動はすでに11世紀に始まっていた。この変動について、これまで私たちは都市と商業資本の出現・勃興という側面から考察してきた。この考察は、ヨーロッパ諸国家体系が形成されていく環境条件=前提を把握するためのものだった。
次の課題は、ヨーロッパのいくつかの主要な地域で〈王権ないし領域国家のレジーム〉が形成されていく過程を――世界市場的連関のなかに位置づけながら――それぞれ個別に考察するということになる。
だが、個別の考察に入る前に、ヨーロッパ諸国家体系全体を包括的に眺めるための視野=視座を大まかに確認しておこう。そのためには、まず考察の地理的空間上の射程範囲を確定しておかなければならない。
そこで最初に、中世前期から17世紀におよぶヨーロッパ文明の地理的空間の広がりと境界について、政治的・軍事的側面から見ることにしよう。そして次に、その地理的空間の全体的構図なかで、この期間に政治的・軍事的秩序ないし権力関係がどのように編成され、変動していったのかを瞥見してみよう。
その最も主要な理由の1つは、できるだけ当時の物質的・文化的状況に即して事態を考察する視座を設定するためということだ。それは、こういうことだ。
現代に生活する私たち観察者の意識と思考は、地球の海陸にわたる圧倒的部分を人類が支配・開発し、国民国家という制度が当たり前になっている現代の状況によって、拘束されている。ゆえに、「国民的イデオロギー」が認識主体としての私たちを呪縛し、私たちは無意識のうちに共同主観としてのナショナリズムによって拘束され定式化された歴史観=「一国史観」を、過去の歴史像に投影してしまっているのだ。
たとえば、フランスという社会空間が遠い過去から存在しているかのような固定観念だ。しかし、百年戦争の時代にはフランスという政治体はなかった。イングランドまたしかり。だから、フランス対イングランドという構図でこの戦争を考察するのは、まったくの錯誤でしかない。
これは、多かれ少なかれ避けられない事実だが、この認識上の呪縛=束縛から離脱するための主要な方法が、考察対象となる時代のヨーロッパの空間的構造と地政学的状況をおさえておくことなのだ。
大雑把に見てヨーロッパは、西は大西洋、北は北海(と北極海)、南は地中海で仕切られ、東はバルカン半島からバルト海に向かって南北に縦断する縁辺地帯によって境界づけられていた。ブリテン諸島とユートラント半島、スカンディナヴィア半島とこれらに囲まれた北海、そしてバルト海は、ヨーロッパの北辺をなしていた。イベリア半島とブリテン諸島の西側は大西洋で仕切られていた。半島のようなヨーロッパの南側には地中海が横たわっていたが、北アフリカとイベリア半島は狭い海峡で隔てられているだけで、ことにジブラルタル海峡では2つの大陸を容易に行き来することができた。
8世紀には、北アフリカからこの海峡を難なく渡って侵入したイスラム勢力が、イベリア半島の大半を支配するようになった。それまで、せいぜいゴート族の部族連合が名目上統治するにすぎなかったヒスパニアは、人口が希薄で未開拓な地域だったから、イスラム勢力はその文明をもって容易に征圧し支配することができた。彼らは、ヨーロッパに比べて格段にすぐれた商業技術と都市経営の方法、農耕・灌漑技術、そしてはるかに洗練された軍事力を備えていたのだ。
同じ理由で、イタリア半島南部やシチリア、マルタ、マヨルカ、ミノルカなどの諸島を含む地中海の大半をイスラム勢力が征圧していた。
ヒスパニア=イベリア半島を征圧したサラセン人の軍隊はガリア=フランス南西部にもなだれ込んだ。732年のトゥール=ポワティエの戦でヨーロッパはかろうじてイスラムの圧力をはね返し、その後ピレネーの向こう側に押し返すことができた。
イスラム勢力のイベリア半島征服
1100年頃の地中海ヨーロッパ
だが同時に、イベリア半島の北部やピレネー地方に追いやられたキリスト教勢力は、イスラムに対する領地再征服 Reconquista の運動を始めることになった。というよりも、優越したイスラム文明との対抗を意識することで、ヒスパニアでは、はじめてローマ教会(キリスト教ヨーロッパ)への帰属意識や宗教意識が覚醒されたともいえる。
この再征服運動は9世紀から活発化して、12世紀までにはキリスト教君侯たちの支配圏域はイベリアのおよそ半分にまで拡大し、その後、13世紀にはそのほとんどを支配することになった。キリスト教諸侯による再征服運動は、「異教徒討伐」あるいは「十字軍運動」という独特の宗教的な観念形態をまとっていた。ガリア(西フランク)の領主もレコンキスタに参加して、ヒスパニアに領地を獲得することもあった。
ついに15世紀末には、イベリアからイスラム政治体は消滅した――もとよりイスラム教徒と文化は残存した。このイベリアの再征服運動は、いくつかの王権の成立と拡張、離合集散、そして統合の過程でもあった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成
第1節
ブリュージュの勃興と戦乱
第2節
アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗
第3節
ネーデルラントの商業資本と国家
――経済的・政治的凝集とヘゲモニー
第4章
イベリアの諸王朝と国家形成の挫折
第5章
イングランド国民国家の形成
第6章
フランスの王権と国家形成
第7章
スウェーデンの奇妙な王権国家の形成
第8章
中間総括と展望