第2章 商業資本=都市の成長と支配秩序
第7節 世界貿易、世界都市と政治秩序の変動
この節の目次
このような大まかな貿易圏としてのまとまりに応じて、それぞれの圏域には中核となる世界都市やその取り巻き諸都市のネットワークがあって、自らを中心に組織された貿易圏における社会的分業の頂点ないしそれに次ぐ地位に君臨し、周囲の諸都市や農村を支配していた。つまり、それぞれの地域貿易圏はピラミッド型の〈支配=従属〉または〈中核=周縁〉構造をなしていた。
バルト海と北西ヨーロッパの貿易圏ではヴェンデ地方のハンザ諸都市――リューベック、ハンブルク、ブレーメン――やマクデブルクなどが最優位に立っていた。地中海貿易圏ではヴェネツィア、フィレンツェ、ジェーノヴァ、ミラーノなどの北イタリア諸都市が優位を競っていた。大西洋岸から低地地方におよぶ貿易圏では、ブルッヘ、イーペル、ヘント、アントウェルペンなどのフランデルン諸都市が商業世界の地平にひときわ高くそびえ立っていた。これらのフランデルン有力諸都市は、ヨーロッパ全体の頂点に立っていた。
だが、この優越は、おそらく16世紀初頭までは、北イタリア諸都市やハンザ諸都市の商業資本が組織し統制していた貿易ネットワークと金融循環に依存するものだった。つまり、自らの経済的権力の強さというよりは、すべての貿易圏を結びつける軸となるような位置にあったという地理的空間的条件によっていた。
そして、この時代には、イングランド、カスティーリャ、フランスにいくつかの有力王権が成長しつつあったが、まだ名目上の支配圏域を政治的・行財政的に統合するまでにはいたっていなかったし、それゆえまた、諸王権の国家装置の周囲で域内の商業資本がブロックを形成するところまでいっていなかった。
だから、それぞれの貿易圏域での経済的再生産における中核(支配中枢)としての地位と機能は、地理的に分散したいくつかの世界都市に配分されていた。そして、有力な諸王国といえども、その域内は経済的にはいくつもの地方に分断されていた。関税障壁のような政治的分断をともなう場合もあった。より正確に言うと、たとえば、16世紀のフランス王国は多数の関税圏や法圏に分裂してしていた。同じころ、エスパーニャ王国は、いくつもの自立的な王国の寄せ集めで、統一的な軍制や税制は望むべくもなかった。
だが、有力な諸都市の周囲では、たとえばドイツでさえも、領邦諸侯による領域国家の形成競争が始まっていた。このような状況のなかで、すでに見たように、ハンザ同盟に結集した諸都市は、単なる通商上の同盟関係を取り結んだだけで、互いに地理的に離れ、領域国家のように軍事的・政治的な結集を組織できなかったため、しだいに権力と競争力を失っていくことになった。やがて都市同盟は、有力君侯たちによって分断されていくことになった。
ところが、ネーデルラントでは集権的な領域的政治体となった諸都市が連合して、エスパーニャ王権から独立して、独特の国家を形成するようになった。その奇妙な国家は、北イタリアの都市国家よりもはるかに強大で、ハンザ同盟とは質的に決定的に異なる政治的=軍事的編成をもっていた。
一方、イングランドの最有力都市ロンドンは、王権に臣従し、王国の統治レジームに統合されていながら、王権装置をつうじてその利害を王国全体に押し付けることに成功し、王国内の経済的富に対する統制権力を強めていった。中央政府は財政収入を確保するためにも、つねにロンドンの利害を最優先に顧慮しなければならなかった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成