その夜、ヘイスティングズでは3つの事件が起きた。
1つ目は、リチャード・ハンターの死だ。翌朝、ハンターは頭部に銃弾を受けて、海岸の丘で手に銃を握ったまま死んでいるのを発見されたのだ。
2つ目は、深夜、沖合から一人の男が小舟を漕いで海岸に上陸し、義勇国防隊によって拘束されたことだ。彼らは捕らえた男がドイツ側のスパイだと睨んでいた。
3つ目は、2つ目の事件と結びついているらしいが、海岸の高台で何者かが沖に向かって懐中電灯で合図を送っていたことだった。義勇隊では、誰かが安全な上陸地点を教えるために電灯を点滅して合図としたらしいと見ていた。
フォイルは翌朝早く義勇国防隊の屯所まで出向いた。国防隊から、スパイらしい男を海岸でとらえたが、軍情報部には連絡がつかないので、とりあえず尋問してみてくれと依頼されてのことだ。そして、尋問のために上陸してきた男と面談した。
その男は穏やかな口調でハンス・マイヤーだと名乗り、オランダ(ネーデルラント)人でドイツの占領から逃れるために海峡を小舟で渡ってきたと言い張った。フォイルの尋問に対してハンスはその主張は変えなかったが、それほど強情な性格ではないらしく、フォイルは親近感を抱いた。
戦時で敵どうしでなければ、親しく話ができそうな相手だと。
フォイルの長所は、戦争状態・戦時下でも、皮相な「愛国心」に煽られることなく、軍事上の立場や役割の背後にある人物の性格や資質を冷静に見抜くことができる点だ。
その男は別れ際にこう問いかけてきた。
「戦争中でも殺人事件を捜査するのかい?」と。
スパイ罪として拘束されている人物にしては、ずいぶん奇妙な質問だった。
けれども、ドイツのスパイであることは間違いないだろう。このあとは軍情報部に引き渡され、軍事法廷で裁かれ処刑される運命になるだろうとフォイルは思った。
フォイルは男の上陸地点と見られる海岸に行って、辺りを調べてみた。小舟は風や潮流に流されて、懐中電灯の合図があったとみられる地点――ロムニー岬――から、西にかなりずれていた。
それにしても、貧弱な小舟を漕いでブリテンの海岸に上陸するのは、死を覚悟した無謀な行為しか思えなかった。あの男は軍の命令で強制されて、そんな危険な任務を果たそうとしたのだろう。
ナチスが支配するドイツでは、すべての軍人や諜報員がゲシュタポによって家族を監視され、いわば人質とされていた。ヒトラー政権や総司令部の命令に背いた者の家族は収容所送りになるか処刑されることもあった。
この状態は、1942年以降、ドイツにとっての戦況が悪化するにしたがって過酷になり、ひどい場合には戦線の崩壊で絶望的な状況になって連合軍に降伏した将官の家族は全員死刑にされるようになった。