小僧といっても、料亭の住み込みの料理人(板前)見習いの青年のことで、「小僧」という言い方は業界特有のものなのかもしれない。そんな呼び名は、いかにも日本橋にふさわしい。
さて、事件現場の遺留品の別の1つに「重盛の人形焼き」があった。
容器に入った人形焼きは、餡入り7つ、餡なし3つの特注品のセットだった。そして、容器には3つの指紋が残されていた。1つは人形焼き店の従業員の指紋。1つは被害者峯子の指紋。3つ目の指紋の主は不明だった。
それが容疑者に結びつく可能性があるとして、加賀と松宮が追跡することになった。
調べていくと、事件当日、近くの料亭の板前見習いの若者が特注品の人形焼きを買ったことが判明した。そこで、加賀たちは料亭を訪ねる。
料亭の女将の夫は、隠し味の「真妻のわさび」の買い付け以外は何の仕事もしない遊び人だった。
じつは、板前見習いの若者はその遊び人の亭主に命じられて人形焼きを買ったのだ。しかも、若者が人形焼きを届けた先が峯子のマンションだったのだ。
容疑が遊び人の亭主におよぶことを恐れた若者は、自分で食べるために買ったと答え、加賀たちに嘘をついた。ところが若者は甘い物が苦手だった。それを見抜いた加賀は、客としても料亭に通いつめて、嘘の背景を探る。
遊び人の亭主は、マンションに愛人である高級クラブホステスを囲っていた。彼女がクラブの客に調子を合わせて言った嘘を真に受けて、彼は彼女が好きだという人形焼きをプレゼントしていたのだ。ところが、愛人は甘い物が苦手なので、もらうたびに峯子にあげていたのだ。それで、現場に人形焼きが残されたのだ。
愛人には子どもがいて、子どもがいない亭主は「父親気分」を味わうために彼女を囲っていたらしい。
そのことは、妻である女将にも筒抜けで、彼女は「父親気分」を味わうために浮気している亭主を許容していた。だが、店の味を守るために必死に努力しているだけに、亭主への面当てに、あの人形焼きに手を加えていた。
人形焼きの1つに、店の「看板隠し味」の《真妻のわさび》を入れて、亭主に食べさせようとしたのだ。それが、容器に残された3つ目の指紋だった。
加賀は、夫婦双方からの事情聴取で、人形焼きがヒビの入りかけた料亭の女将夫婦の絆を修復するきっかけをもたらした。