三井峯子が殺害直前に残した電子メイルの宛先の1つに、近所の瀬戸物屋、柳沢商店の嫁、麻紀のアドレスがあった。峯子は麻紀に料理バサミを買ってあげたらしい。さらにその後の調査で、麻紀が峯子に20万円の現金を渡していることも判明した。
というわけで、柳沢麻紀が参考人として捜査線上に浮上した。調査担当は加賀と松宮だ。
2人が柳沢商店を訪ねてみると、店主で麻紀の姑、鈴江は、麻紀と険悪な関係にあるらしいことがわかった。理由の1つは、元キャバクラ嬢の麻紀は、陶器店の跡継ぎの嫁としては甚だ頼りないばかりか、軽すぎると、鈴江には見えることだった。それに、鈴江は歯が相当悪いのに、麻紀が噛みごたえのある料理をつくりがちなのも、鈴江の気分を逆なでしているらしい。
つい先日までは、姑と嫁は、下町の女風に率直に言い合う、仲の良い関係だったらしいのだが……。何かがきっかけで仲がこじれたらしい。
瀬戸物屋の店主で鈴江の長男の直哉は、嫁と姑との板挟みになって苦しんでいる。というよりも、相当に軟弱で頼りない男なので、鈴江は店の後継者として直哉がしっかりした嫁をもらうのを期待したが、すごく可愛い麻紀を外見だけで嫁に選んだとしか思えない軽薄さが鈴江の気に入らないのだ。
下町っ子の鈴江は物言いがきついので、母子が言い争いをするたびに麻紀は傷つくのかもしれない。
そして、麻紀がすごく大事にしていたキティ・キャラクター絵柄の古タオルを雑巾に縫ってしまったことから、2人のなかは険悪化した。
さらに麻紀が鈴江の旅行鞄を探っている場面を見た鈴江が罵倒したことから、麻紀は姑に腹を立てて家を出ていって、一晩家を空けてしまった。これで仲がさらにぎくしゃくすることになった。だが、その家出には、深い訳がありそうだった。
麻紀は、加賀たちが峯子との関係や料理バサミ、手渡した現金について質問しても、はぐらかして何かを隠している。
ところが、――たぶん母親がすでにいない――麻紀は物言いはきついが心根が温かい鈴江がすごく気に入っていた。それで、近く近所の茶飲み友だちとともに伊勢に旅行に行く予定の――歯の悪い――鈴江のために峯子に料理バサミを買ってもらい、旅先で食事がしやすいように――料理バサミで料理品を小さく切って食べるために――旅行鞄に詰めようとしていたのだった。
そして、家出にかこつけて一晩外泊したのは、店のホームページをデザインするためだった。パソコン・スクールで徹夜して学んだばかりのウェブ・デザイン知識を駆使して、瀬戸物店の商売を応援するホームペイジ・コンテンツを立ち上げたのだ。
そのために、峯子に20万円を渡して、キティの絵があしらわれたノートパソコン(ラップトップ)を買ってもらったのだ。
つまりは、麻紀はすごく姑思い、店思いの嫁なのだ。
そういう事情を探りだした加賀が店を訪ねて、質問攻めにしながら、鈴江に麻紀の健気さを知らせ、麻紀には鈴江がキティのタオルセットをプレゼントしようとしたことを教えた。
というわけで、麻紀は事件に無関係であることが判明。麻紀と鈴江のなかも修復された。というよりも、前より仲がよくなった。いかにも江戸下町、日本橋の人情話のようではないか。
「下町」とは本来「城下の街」という意味で、江戸城の直下の高級な中心街・町人街――たとえば日本橋、神田、銀座、京橋、新橋など――を意味するものだ。
英語の down town ――すなわち town down the castle に由来する語――も同じ意味だ。
ところが、――高度成長時代から「山の手」を高級住宅地として売り出した不動産会社の企みで?――最近は本来の意味が取り違えられてしまっている。