さて、さらに調べが進むと、被害者、峯子が頻繁に電子メイルを送っていた相手は、彼女の友人で、アメリカ西海岸ワシントン州シアトル市に住む多美子だったことが判明した。
多美子への峯子の最後のメイルの内容は、
「ある若い女性が働いている店に通いつめているので、疑われているかもしれない」というものだった。何をどのように疑われるというのか。
それで、峯子の足取りを後追いしてみると、洋菓子店「クアットロ」であることがわかった。その店には、妊娠している若い女性が働いていた。彼女に尋ねると、峯子は頻繁に店を訪れて洋菓子を買ったり、店内の喫茶コーナーで食べたりしていた様子。
そして、店員の女性には理由がわからなかったが、峯子はいつもやさしい笑顔で見つめてくれたという。しかも、水天宮近くの名物みやげ「子犬の縫いぐるみ」を贈ってくれたという。
だが、店員の女性には、峯子がやさしくしてくれる理由がわからない。
ところで、加賀と同様、マイペイスで捜査を続ける上杉刑事は、峯子の息子、弘毅の行方を追っていたが、峯子の葬儀会場で弘毅を見つけた。そして、弘毅が恋人、青山亜美のマンションの部屋で同棲していることを突き止めた。加賀たちは、そんな弘毅に事情聴取していた。
峰子と弘毅の母子関係は入り組んでいるようだ。
峯子は大学卒業後、本当は英語の翻訳家になりたかったのに、弘毅を妊娠したしまったために諦めて恋人と結婚し、家庭の主婦におさまったらしい。だが、最近、ふたたび翻訳家として自立する道を探り始めたようだ。
さてそんなある日、弘毅は峯子が大学時代からの友人と電話で話しているのを聞いて、愕然とした。
「弘毅の妊娠は誤算だったわ……」という会話を聞いたのだ。
峯子はその場で思いついたことを文脈を問わずに口に出してしまう性格のようだ。彼女は別に弘毅を産んで育てたことについて後悔しているわけではない。弘毅を深く愛している。
翻訳家という夢が諦めがたい欲求になっているということだ。
しかし弘毅としては、「母が望んで自分を産み育てたわけではなかった」「うとまれている」と誤解してしまった。そのうえ、大学を中退して演劇俳優の道に進もうという選択を父から強く反対されたために、家族というもの嫌気がさして家を出てしまった。
その前から、父、直弘は自分が起業したビル清掃会社に経営で忙しくて、息子や妻、家庭を顧みる余裕がなかった。会話が途絶えた家族は、相手の気持ちを理解しようとする姿勢を互いに失っていった。
ところが一方、峯子は、家を出て自分が望む道を進もうとする息子の姿に励まされて、翻訳家になるために直弘と離婚した。こうして家族はバラバラになってしまった。
さて、峯子は偶然に小伝馬町に転居してきたように見えたが、じつは、いずれ息子に会うために近所に住居を移したことが判明した。しかも、弘毅の恋人、亜美は偶然峯子と出会って言葉を交わす仲になり、峯子が息子を探していることを知った。
ところが、亜美に峯子は「あと3、4か月は会わないつもりだ」と告げていた。……言い換えれば、3、4か月後に会いにいくということだ。しかし、峰子は息子に会うことなく殺されてしまった。
そんなところに、多美子がシアトルから一時帰国してきた。そして、峯子の死に愕然とした。
そんな多美子が加賀たちの事情聴取を受けて語ったところによると、
峯子は、親の援助なしに自分の夢を追求しようとする弘毅を応援しようとしていた。それゆえ、弘毅の行方=住居を探していた。
そして、多美子が日本橋界隈を歩いていたときに、弘毅が恋人、亜美といる弘毅――2人の後姿――を見かけた、そのあと、亜美が勤めめている喫茶店の場所を教えたことから、峯子は小伝馬町に転居してきた。
ということだった。
ところが、ひょんなことから峯子が勘違いして、亜美が勤める喫茶店と洋菓子店とを取り違えてしまった。そのまま、峯子は洋菓子店に通いつめて、女性店員、美雪が妊娠していることを知り、てっきり弘毅の恋人が妊娠したと勘違いしてしまった。
峰子は美雪にやさしい笑顔を向け、安産祈願のお守り(子犬の縫いぐるみ)を贈ったのは、そういう事情からだった。
弘毅に対する事情聴取を続けながら、加賀は弘毅と亜美にそういう事情を説明し、峯子の真意――弘毅への深い愛情――を伝えた。