『日本の刑事ドラマ』の記事で述べたように、日本では警察による犯罪捜査をめぐるドラマや小説、「刑事警察もの」が、現代社会の状況を観察し描き出すための文芸・芸術ジャンルの1つとなっている。
ことに第2次世界戦争後は、謎解き(ミステリ)そのものよりも「社会状況」や「社会変動」を批判的に分析するための手法となってきた。その意味では、刑事ドラマは、一般民衆が近づきやすい「社会学」「社会科学」「社会心理学」の1部門とさえいえるだろう。
今回は、人びとの《人情の機微》を描いた2つの作品を比較考察する。
テレヴィドラマのシリーズで1つの犯罪事件の捜査をめぐる物語を描き続けるのは、相当に難しい。
テレヴィドラマのシリーズで1つの犯罪事件の捜査を描き続けるのは、相当に難しい。
というのも、放映時間の合計は相当に長くなるために、物語の展開や人物設定が「まのび」してまい、途中でだんだん緊張感が抜けていったり、本筋よりも余談の方に重点が置かれるようになってしまったり、シリーズを「1つのまとまり」=全体として組み立てることに失敗する危険が大きくなるからだ。
たぶん、1つの全体=作品としての質や水準を追求するよりも、むしろ個々の回の視聴率を狙うために、物語の展開が散漫になり、作品シリーズを1つの全体に統合することがあと回しになるせいではなかろうか。
つまりは、脚本が悪いのだ。
そこで日本のTV刑事ドラマで頻繁に取られる手法が、1回または2回で完結するような個別の事件の捜査をいくつも描きながら、背景に大きな1つまたは一連の事件を置き、シリーズの最後にこの事件の捜査が決着するという流れにするというものだ。
とはいえ、原作がかなりの質の高い長編小説で、その作品世界をできるだけ忠実に再現・再構成しようとする場合には、ドラマとして成功する可能性が大きくなるかもしれない。この場合には、原作小説が長編を持たせるために、個々の興味深いエピソードを枝葉のように描きながら、幹のような主題となる事件物語を進行・展開させてくれているので、脚本づくりがかなり楽になるだろう。
あるいは他方で、ドラマ・シリーズ全体のまとまりを考えずに、TVドラマと割り切って、1回ごとの舞台劇のような構成の喜劇仕立てにするのも試みとしては面白いかもしれない。ここでは、シリーズ全体を貫く事件はない。
というような勝手な思いつき視点に立ち、ここで取り上げる作品は、『新参者』(原作:東野圭吾「加賀恭一郎シリーズ」)と『刑事定年』の2つ。この2つのドラマは、刑事ドラマのつくり方としては両極端にあるといえると思う。
そして2つとも《人情の機微》を巧みに描き出している作品だ。このような作品スタイルを「ヒューマンコメディ」と呼ぶのだろう。人間社会、コミュニティの人びとの温かな心の交流や他者への思いやりを描き出し、私たちに穏やかな安堵感をもたらしてくれる。
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