ドラマ『新参者』では、加賀刑事が被害者の周りの人間たちの心理や相互関係をめぐる小さな疑問をつつき回し追いかける流れが妙味となっている。もちろん殺人犯が誰かを、そしてなぜほかならぬ被害者を殺害するにいたったのかという疑問が、多くのエピソードを動かし結びつけるテーマとなっているのだが。
一般に刑事警察ドラマ(小説)が、単なる「謎解き」を超えて、犯罪捜査(犯罪の性格、状況の追跡)をつうじて現代社会の状況を描き出すというテーマを持つとすれば、物語は幅広く社会一般、一般市民の社会生活や心理などを考察することは、必要不可欠となるだろう。
というよりも、そういう一般民衆のひとりとして犯人(容疑者)や被害者の生活様式や心理、動機を描くことに成功した場合に、はじめて刑事ドラマは成功したというえるのかもしれない。
してみれば、狭い意味での「誰が犯人か」とか「動機は何かホワイダニット」だけを追究するのではなく、犯罪の周囲の人びととの関係あるいは社会的文脈での「フーダニット」「ホワイダニット」をどこまで追いかけることができるか、それこそが問題となるといってもいいだろう。
犯罪が起き捜査が展開される時代の社会状況、社会心理状況、人びとの生活状況と文化などなどを、犯罪捜査や警察組織の動きというような側面=切り口から解剖し描き出す必要があるということだ。純然たる謎解きや論理展開だけの推理では、小説ではともかく、TVドラマというメディア・プログラムでは多くの視聴者を引きつけられない。
さらにできるなら事件が起きた特定の地区・地域の特徴――歴史や地理、生活風習――や文化をも描き出せれば言うことはない。
単なる謎解きに満足しない刑事ドラマ視聴者(読者)のニーズにこたえるために、作家やドラマ制作者は努力が求められている。この作品は、成功の糸口としてのドラマの筋立てを「人情の機微」へのアクセスという方法に見つけた、その試みの1つ1つである。
■小さな謎解きの連続 遠回りの妙味■
この物語では(原作も)、次々に容疑を向けられる人物が登場し、事情聴取を受けた関係者の嘘が浮かび上がっていく。しかし、最後の1人、岸田税理士を除いて、次々に疑いは晴れていく。あるいは、関係者が供述した嘘と不審な行動の原因が解明され、真実が見えてくる。
その真実は、行き違いになったりギクシャクした人びとの間の関係を修復していく鍵になるものだ。つまり加賀の捜査は、人びとの間の心情の行き詰まりや擦れ違いを修復し癒していく過程となっている。
ところで、その真実の核心とは「人情の機微」、互いに相手を思いやる心性だ。
ということは、岸田容疑者に向かう1本の道筋に行き着くまでに、次々に脇道が現れ、捜査――加賀の捜査と推理――は横道にそれていくことになる。
つまり、犯人探しの本筋から行く筋もの副流が枝分かれして流れ出し、やがて袋小路に行き着き、したがってまた本流に戻るが、ふたたび副流に流れ込む、という《 story-telling 》の大原則どおりに物語が展開するわけだ。
物語は、視聴者を次つぎに脇道の迷路に誘い込み、「嘘」「不審な行動」を発覚させ疑いを抱かせていく。
とはいえ、2度目からは、私たちは「たぶんこの人の容疑は晴れるだろう」というささやかな期待を寄せることになる。問題になっている人間関係や利害関係では、峯子の殺害にまでいたる憎悪や殺意は生じようがないからだ。
だが、嘘の発見と謎解きに私たちの期待は集まっていく。