見どころとあらすじ
ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』は、人間にとって知性や知識とは何かという問題を鋭く提起した小説だ。映画だけでなく、欧米では数多くの舞台演劇やミュージカル作品になっている。
日本でも、ラディオドラマやテレヴィドラマになった。
知的障害者の青年、チャーリー・ゴードンが脳手術を受けて高い知能を獲得したが、そのことによってむしろ苦痛や苦悩に見舞われる――そして、手術の効果は短期間に失われ、ふたたび知的障害の状態に戻ってしまうという物語だ。
脳手術の結果、チャーリーの知能は目覚ましく高まっていった。そのことで、チャーリーはかえって世の中――人びとの心の醜さや欠陥――を知ることになった。しかも、急激な知能の上昇と不安定な感情とのアンバランスに悩むことになった。
他方、手術に成功したニーマー=ストラウスの「知能回復」の技術は医学界で高く評価されるようになった。
だが、この手術には致命的な欠陥があった。いまや天才的知性を備えるにいたったチャーリーは、その欠陥、それゆえまた自分の悲劇的な運命をいち早く察知し、さらに苦悩を重ねることになった。
映画作品の物語では、チャーリー・ゴードンの知能指数IQは58、生活指数(生活の知恵)は61だという。だが、IQの測定法には、被験者の知的側面での精神年齢による方法もあるから、IQでチャーリーの知能のレヴェルをどうこう言えない。で、映像で表現された彼の言動から、彼の知的障害の度合いを見てみよう。
物語の冒頭、というよりもオープニングクレディットのシークェンスで、チャーリーは、公園の遊具で幼児たちと無邪気に遊び回る。ブランコを必死に動かし、シーソーで喜色満面、滑り台を楽しそうに滑り降りる。明朗で天真爛漫。だが、しばしば焦点の定まらない目つきで、ぼんやり人びとを眺める。
チャーリーの精神的・知的年齢は、おそらく3歳〜5歳くらいか。
そして、物語は、彼がボストン大学の知能障害改善プログラムの夜間コースを受講している場面から始まる。そこでは、文字=アルファベットを習い、日常生活で使用する言葉――たとえば、自分の名前とか曜日の名前、日にちの数時、「歩く」とか「働く」「好き」などの基本動詞――のスペルを学習する。
だが、記憶し使いこなすまでには、おそろしく時間がかかる。
かなりの知恵おくれだ。が、彼はその分、自ら嘘をつけない――普通の3歳の幼児は自己利益のために嘘をつくという――し、他人の悪意も妬みも理解できないし、尊大な優越感も知らない。
というわけで、チャーリーにとっては、この世の中には「悪意」「邪心」は存在しない。