いまではチャーリーの恋人になったアリスは、この報告ではじめて、チャーリーが大変な危機に直面していることを知った。何とかチャーリーを慰め、勇気づけようと思ったが、どんな言葉をかけたらいいのかさえもわからない。
ところが、アリスの前では、チャーリーは深い苦悩や絶望を見せなかった。むしろ、この分野の医学知識を誰よりも深く理解しているチャーリーは、悲劇を避けるために自分自身で最先端の研究を推し進めて、何とか打開策を見出そうとした。
それから数日間、チャーリーは、大学の最優秀の医療スタッフとともに先端医療の研究に没頭した。世界中から研究論文や資料を取り寄せて、解析や検討を加えた。
けれども、できることはやり尽くしたが、知能の再委縮を食い止めるような治療法は見出すことができなかった。
ある日、チャーリーはアリスを呼んで、この事態を告げた。
「これから、脳機能の急速な衰弱が始まり、あと何週間かすると、ぼくはすっかり元に戻ってしまうだろう。あなたを愛していることも忘れてしまうだろう」と。
部屋のなかで絶望・落胆した2人が、肩を落として向き合ったまま、時間が過ぎていく。
映像の物語は、ここで終わる。
ダニエル・キイスの原作――短編・長編ともに――では、このあとのチャーリーの脳機能の衰弱の過程が描かれている。
長編では、知能の低下のある段階までは、チャーリー自身の手記によって、事態の進行が描かれる。だから、チャーリーの文章は、理詰めで整然とした書き方から、だんだん稚拙な文章になっていき、ついに文脈を取りにくい「たどたどしい」言葉使いになっていく。
そしてやがて、チャーリーではなく、大学スタッフの手記になる。チャーリー自身は、もはや文章を書けなくなり、自分の精神状態を認識できなくなっていくのだ。そして、精神薄弱の状態に戻っていく。あるいは、脳の劣化とともに死が近づいてきたのかもしれない。
この過程で、チャーリーは、かつて自分の親友だったマウス、アルジャーノンの墓に毎日花を供えることができなくなってしまうことを悲しんだ。
そこで、最後の手記に、研究スタッフたちに――あるいはアリスにも――「ぼくがアルジャーノンの墓のことを忘れてしまったら、アルジャーノンの墓に花を供え続けてください」と書き残したのだ。
この物語の題名は「アルジャーノンに花を」となっている。が、この言葉は、治療法の実験台となった結果、悲劇的な自分の運命を先取りして死んでしまったアルジャーノンへの追憶を表す言葉であり、また自分は避けようのない悲劇に向かって進まざるをえないことを、不可避の運命として受け入れたチャーリーの「想い」を表したものでもある。
私は、この物語のなかに、死や知的機能の衰弱という、人間にとって、いずれ避けられない運命に対して、人はどのように向き合うかという問題提起を読み取った。
ダニエル・キイスは、専門家=精神医学者としての視点で、「知能の優劣」とかそれが生み出す「世の中の偏見や差別」について問題提起し、医学の進歩がもたらす光明と闇=悲劇などを描き出したのだのだろう。
そして、私の心には「人間にとって知性とは何か」という問題が深く刻まれた。