そのような学者先生たちの身勝手というか目論見を、じつはチャーリーは見抜いていた。なにしろ、チャーリーは飛び抜けて深い洞察力・観察力の持ち主なのだから。
そして、今やチャーリーは、脳科学・脳医学についても最先端の研究論文を読み漁り、ニーマーやストラウスたちよりも高い地点に到達しようとしていた。
ところで、知的障害者に脳外科的手術を施し、独特の育成プログラムによって、高度な知能を備えた知性豊かな青年をつくり上げたという研究成果は、ボストン大学の2人の論文発表によって、学界で大きな注目を浴びるようになった。
2人は、ボストン大学を会場にして、この分野の学会を開催して、大々的に研究発表をおこなうおうとした。
一番の目玉は、被験者本人=チャーリー(今やどの学者にも負けないほどの知性を誇っている)にも、自分の成長変化についての研究報告を担わせることだった。
ところが、思いもかけない悲劇の足音が迫っていた。
チャーリーがニーマー=ストラウス療法の致命的な欠陥に気がつくきっかけは、彼の友人にしてペット、アルジャーノンの悲劇だった。
脳外科的手術によってアルジャーノンはマウスとしては飛び抜けた知能を持つようになった。それは、知能の発達にとって「障害」となっている脳組織(脳細胞群)を切除し、また脳機能を活発化させるものだった。施術後、アルジャーノンは記憶力や判断力・刺激への反応速度を急速に高めて、「迷路ゲイム」では、普通の人間と互角に競争できるまでになった。
ところが、脳手術と機能活性化療法の効果の持続期間は、きわめて限られていた。ことにマウスは身体も小さいので新陳代謝の速度も速く、その分老化も早く寿命が短い。
わずか数週間で効果は失われ始めた。アルジャーノンの脳機能は急速に鈍化していった。劣化が始ってからわずか1週間で、アルジャーノンの脳は深刻な機能麻痺に陥ってしまった。
あるいは、脳機能の活発化によって、栄養やエネルギー、酸素が脳の特定部位に集中しすぎたために、ほかの部分や身体の脳以外の部分の代謝が妨げられ消耗が激しくなったのかもしれない。つまり脳細胞の過負荷運動のツケが回ってきたのだ。身体全体の衰弱・劣化は脳の機能劣化・衰弱に直結する。
アルジャーノンは、脳の機能と同時に身体そのものも衰弱していった。もちろん、マウスの寿命自体が短いということもあるだろう。そして、日をおかずに脳機能の停止とともに、アルジャーノンはあっけなく死んでしまった。
チャーリーは、アルジャーノンを手厚く葬り、大学の庭の片隅に小さな墓を造った。そして、その墓に毎日、花を捧げた。
チャーリーは、アルジャーノンの知能の衰え=脳機能の衰弱という事態から、これはニーマー=ストラウス理論に内在する重大な欠陥を嗅ぎ取った。そこで、脳医学や神経生理学などの最先端の専門書を図書館で読み漁った。そうこうするうちに、2人が打ち立てた知能障害の治療法には大きな限界があることを理解した。