はぐれ者少年少女たちの冒険の2回目は、落ちこぼれ者たちの大冒険の物語を取り上げる。その名も『グーニーズ(1985年)』。現代版の『宝島』ともいうべき冒険喜劇(アドヴェンチャー・コメディ)だ。
自ら「落ちこぼれ」であることを認めている少年少女たちが、17世紀の海賊が隠した財宝を探し求める冒険に挑む。
映画の原題は The Goonies で、「はみ出し者たち、落ちこぼれ者たち、間抜けども、面白みのない奴ら」という意味になる。もともとは「哀れな奴」「惨めな輩」「能なし連中」「阿呆」という意味の goon から派生した形容詞 goony に定冠詞をつけて名詞化し、俗語としてその複数形にしたもの。
ひところディズニーランドにあった「冒険セット」をくぐり抜けるような冒険物語だ。
まあ荒唐無稽な少年少女の冒険だが、たまには気分だけでも子どもの頃に戻って、はらはらしたり、大笑いしたりするのもいいかもしれない。
物語の単純さをあげつらうよりも、子供向けのクリフハンガー活劇としの出来栄えの良さ、セットや仕かけの巧みさを賞味すべき作品だ。
そんな冒険物語に夢中になっていた頃の自分(少年時代)を思い出すのもいいかもしれない。
冒頭では冒険の主人公たちの姿がえがかれる。ずい分とズッコケた主人公たちだ。その彼らはオレゴン州アストリア市の郊外の荒廃しかけた住宅地に暮らしている。この住宅地はかなり老朽化していて、近々再開発のために取り壊されることになっている。
市当局は、荒廃しかけたその一角を再開発しようと計画している。
最有力の再開発の案は、土地をまるごと一帯の開発を進めているディヴェロッパー企業団が経営するアストリア・カントリークラブに売り渡すという計画だ。そのために、近いうちに一帯の住宅群を取り壊してさら地にする予定だ。
ときは1980年代半ば、レイガノミクス全盛の頃。「行政への民間活力の導入」というスローガンのもと、行政機関が管理に手を焼いている問題」を手っ取り早く解決するために、たとえば老朽化した住宅街を有力な民間資本に安く譲渡し、彼らの利潤本位の好き勝手な再開発に委ねるという手法がまかり取っていた。
その頃から「低所得者層にも持ち家を」という美辞麗句が飛び交うようになった。そんな住宅政策のツケが20年後に「リーマン・ショック」を呼び起こす1つの大きなきっかけとなった。
「だが、……」と市当局は、その街区の住民たちに提案を持ちかけた。
「土地を買い取るための価格の頭金を支払うならば、住み続けてもよい。ただし、住宅は老朽化しているので、頭金拠出のほかに住宅建て替えをおこなうこと」という条件を突きつけた。
とはいっても、地区全体で数十万ドルにも達する高額の頭金を、低所得のため老朽化した公共住宅に住み続けている人びとが提示できるはずがない。
市としては、こんな高飛車な要求を突きつけて現在の住民の居住権を「最大限尊重する」姿勢を見せたうえで、市議会や市政庁の権力機構と結びついた地元財閥にスラム化しかねない一帯を引き渡して再開発を進めたいというのが本音なのだ。そうすれば、土地売却代金のほかに巨額の固定資産税が毎年市の懐に転がり込んでくると見込んでいるのだ。
さて、その一帯は「グーンドックス the goon docks 」と呼ばれている。住民たちも自嘲を込めて、そう呼んでいる。
「ぱっとしない吹き溜まり」「取り残された一角」「惨めな連中の吹き溜まり」というような意味だろう。グーンとは、「礼儀や品をわきまえない貧民たち」「はぐれ者たち」を意味する俗語なのだ。
住民に大金支払いか立ち退きかを迫る期限が、いよいよ翌日に迫ったある日(週末)のできごと。
近くの郡刑務所で脱走事件が発生した。
詐欺や恐喝、窃盗、強盗などの罪科で拘束されていた大男が、その母親と息子――大男の兄か――の企てによって破られ、大男が脱走した。3人は、以前から指名手配を受けているフラテリ一家だった。この手の乱暴者や犯罪者たちも、「グーン」とか「グーニーズ」と呼ばれる。同綴りの異議語だ。
それにしても知恵も工夫もない力任せの乱暴な破獄だったので、フラテリ一家は、すぐに警官隊による追跡を受けることになった。これまたずい分ズッコケ気味の脱走とカーチェイスが繰り広げられた。
脱走犯と警察の追いかけっこは、グーンドックスのなかに入り込んで、ひとしきり騒動を引き起こした後、アストリアの郊外を抜けて海岸端まで行きついた。そして、脱走犯の車は、海岸の古びたレストラン近くで消えた。