腹を括ったエドワードは、被害者住民を原告団として組織化しようと考え、ヒンクリーの住民を説得して回ることになった。地元でも多数の住民がタウン誌に投稿して、PG&Eによる環境汚染と健康被害に対する医療費と賠償を求める運動を組織しようという意見を述べるようになった。
やがて、住民集会(とお祭りを兼ねた集会)が開催されることになった。
エドワードとエリンは、法律事務所としてのアドヴァイスや支援を提示するチラシを印刷して乗り込んだ。エリンは、シッターとしてのジョージと3人の子どもを引き連れながら、人びとに説明して回った。
多くの住民が被害を訴え出た。さらに、PG&Eの元従業員も情報を提供すると名乗り出た。従業員自身も、汚染や自らの健康被害に大きな危惧を抱いているのだ。
そして、貧相な初老の男がエリンに近づいて電話番号を聞き出そうとした。その男は態度がおどおどしていて、いかついジョージがエリンの「連れ合い」だと知ると、怯えるような素振りでエリンから遠ざかっていった。
とにかく、こうして原告団メンバーの数は膨張していき、PG&Eの工場排出物管理のずさんさを指摘する情報源も増えていった。
ところが、1人だけ、住民訴訟に背を向けるように孤立している母子家庭があった。
エリンは、その家を訪ねた。一家の母親、アナが戸口に現れて、「弁護士とは話したくもない」と面会を拒絶した。
さて、エリンと同棲して1年半、今や3人の子どもたちの父親代わりになっているジョージ。もともとは、穏やかで争いのないシンプルライフを求めて各地を自由にさすらう「気ままなバイク乗り」だ。
ところが、今やエリンはすっかり、ビズネス戦争に勝ち抜こうとするキャリアウーマン然とした行動スタイルを取るようになった。子供の世話と家事は、ジョージに任せっきり。エリンはまるでいきり立つようにして毎朝、家を出る。だから、子どもたちは、そろそろ母親の愛情に飢え始めている。
ジョージとしてはたしかに子育ては楽しみだが、エリンは俺に何を求めているんだろうとジョージは悩んだ。
何か月か前の真夜中、エリンは帰宅途中の車から電話してきた。
「眠気覚ましの話をお願いするわ。でも、冗談は抜きにして」と。
で、ジョージは赤ん坊のベスが今日はじめて話せるようになったという「大事件」を伝えた。子どもの成長を驚きと喜びを持って体験できる幸福を感じたと。
だが、エリンはこのところ仕事での成功を求めるあまり、母親として子どもの成長を見守る楽しみも義務も放棄してはいないだろうか。
しかも、最近エリンの自宅に脅迫の電話がかかってくることになった。おそらくはPG&Eが背後で糸を引き教唆しているようだ。ジョージは「危険な仕事はしない方がいい」とアドヴァイスしたが、エリンは聞く耳を持たなかった。
おりしも先日のヒンクリー住民集会のとき、人びとが集まった公園の脇の道路を仲間のかつてのバイカーたちが自由そうにバイクで駆け抜けていった。見かけはごつい男たちだが、争いごとは避けて「平和で自由に」生きているのだ。
俺はどう生きるか。ジョージは悩んだ。
とうとうある真夜中、帰宅したエリンに、ジョージは悩みを打ち明け、別れを告げた。