おりしも調停決定が出る直前、エリン母子のもとにジョージが帰ってきた。自由な放浪の旅に出てみていろいろ考えた末に戻ってきたのだ。
どうやら、ときどきバイクによる放浪の旅に出て、どこかの建築現場で技能を発揮してたっぷり稼いでみたいというライフスタイルを実行してきたらしい。エリンの家族から離れて考えてみて、やはり家族のもとで暮らしたいという結論が出たということなのだろう。
じつに奇抜な「キャリアウーマン」の道を駆けだしたエリンを陰で支える主夫兼シンプルライファーとしての生き方を覚悟したのだ。愛する女性と子どもたちを支える男性の生き方は、彼らしいライフスタイルだ。しかも、今後も自分の生活のために必要な収入は自分で稼ぎ続けるつもりなのだ。エリンは喜んだ。
さて、過去の判例からみて最高額に近い賠償額を獲得した判決が出た――その知らせを、誰よりも先にドナの家族に知らせるために、エリンはヒンクリーを訪れた。
車にはジョージを乗せて、ちょっとした旅の気分を味わうのも目的だったのだろう。
「支えてくれたお礼よ」とエリンは告げた。
ドナは乳房も子宮も除去されてしまい、このところずっと落ち込んでいたのだが、エリンを見て微笑んだ。そして、エリンから判決の結果を聞いた。
「ジェンセン家の取り分は500万ドルよ。これで、あなたの娘たちも、その娘たちの代まで安心して暮らせるわ」
たしかに巨額の賠償金額だが、ジェンセン家――子どもも含めて――が苦しみ失ったものと比べると、一概に高額とはいえない。今後も家族全員が癌や悪性腫瘍の発症の恐怖と闘い続けなければならないのだから。
こ気味よいテンポで躍動的に描かれた物語だが、扱っているテーマは重い。いや、重いからこそ、軽快なタッチで描き切ったのかもしれない。
描き方の特徴は、この記事の副題に示したとおり「人は見かけによらないもの」である。エリンやジョージ、エドワードだけではない。人は、外観には現れない才能や資質を備え、かつまた人知れない苦悩や思いを抱えて生きている。一貫してそういう角度から映像物語を脚色している。
たとえば、最初はエリンを拒絶したアン。
彼女は環境汚染と健康被害を誰よりも早く察知し、それゆえまた自分や子どもの病気に苦しんで、煩悶し、PGEに深い憎悪を抱いていたのだ。
次に、PGE本社の責任を証明する証拠書類を保存していた、怪しげな素振りを見せた初老の男。
エリンの美貌に惹かれて近づいたようにも見え、絶えず他者の眼を警戒するようなオドオドした態度。しかし、彼もまた、PGE経営陣の悪辣さを誰よりも鋭く察知し、弱い労働者の立場でありながら、証拠隠滅の策謀を阻止した。彼はPG&Eの人命を軽んずる経営姿勢を知って、どこに会社側の回し者がいるとも限らないと不信を抱いたがゆえに、過剰に警戒しがちな態度を見せるようになったのだろう。
私としては、アメリカの環境汚染による健康被害をめぐる調停裁判制度の一端を学ぶことができた。そして「人を外観だけで判断してはいけない」という格言をあらためて考える機会を得た。
映画が教えてくれるものがじつに多い! ということも強く感じた。今後もひたすら学び続けるように、映画作品を見続けよう。
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