というわけで、早期の被害者救済を最重要課題とする――和解調停をめぐる――法廷闘争が始まった。
PG&E側との予備交渉をつうじて、既存の判例をもとにして、倍賞金総額は3000万ドルから4億ドルまでの範囲となること、また、PG&E側は原告住民団体への示談金の支払いの条件として、原告メンバーの90%以上が判決による和解条件に応諾するという保証を求めた。
被害者代表訴訟とも呼ばれるクラスアクションでは、通常の場合、原告メンバーのだいたい70%の同意が条件とされるらしい。だが、PG&Eとしては、同意しないメンバーによる新たな訴訟が立て続けに起きると、支払能力=経営資産の限界にぶつかってしまうので、ほぼその可能性がなくなる線まで不同意者数を抑えようという腹積もりなのだ。
原告住民たちの同意を取りつけるために、エドワードは調停裁判の方針を説明する住民集会を開催した。
エドワードが説明すると、多くの住民から反論が返ってきた。
「私たちは、15年かかってもPG&Eの責任を徹底的に追及したい。PG&Eの責任の追及が甘くなる」と。
さらに、 「裁判に勝つか負けるかということよりも、健康被害の深刻さを明白に訴えて闘い続けたい。住民の苦悩や心情を訴える場がほしい」というのだ。
これに対して、エドワードは、エリンにおこなった説得の言葉を用いて、理解を求めた。
「今すぐにでも、救済が必要な人びとがいるんだ。その人たちに、あと15年待ってくれと言えますか」と。憤りは理解できるが、最も苦しんでいる被害者に連帯しようということだ。
エドワードの渾身の説明に参加者全員が納得して、調停裁判への同意書に署名した。けれども、この集会への参加者は150人で、今後、これまでに630人以上に増えたメンバーから同意=署名を獲得しなければならない。
集会後、エドワードはエリンに「やれやれ、これからが大変だ」とこぼした。だが、エリンは「エド、よくやったわ。上々の出来よ」と褒めた。そして、明日から4日間、個別訪問して全員の署名を得ることにするわ!」と言い切った。
それから数日間、エドワードとエリンはそれぞれ単独で、あるいは同行して行動して全員の署名を獲得した。
■決定的な証拠■
それにしても、PG&Eの責任を全面的に証明する証拠がほしい。
エリンは署名集めをしながら、住民たちから健康被害の状況やPG&Eの動きに関する情報を調査し続けた。
ある夜更け、エリンは町のバーを訪ねた。店主から署名を得るためだった。
ところが、そこに、公園での住民集会でエリンの連絡先を聞きたがった初老の男が近づいてきた。エリンはナンパかと思ったが、その男の口から漏れ出た言葉は深刻な内容だった。
「俺のいとこが先日病死した。身体中がぼろ屑のようになっていた。皮膚癌、直腸癌…内臓はズタズタに爛れていた。鼻や呼吸器はひどいものだった。俺は泣いたよ。いとこは、PG&Eの汚水処理係だったんだ。
退職直前、作業中にかけていたマスクを外したら、顔面から鼻や口のなかじゅう血だらけで、爛れていた。あれは、汚水のなかに含まれれいたクロムのせいだ。
で、ある日、本社の幹部が俺に直接命令を出したんだ。会社の古い書類をシュレッダーで廃棄処分にしろ、とね。だいたいは勤務・休暇記録だったんだが、なかにクロム汚染の影響に関する情報が入っていたんだ。
そのなかに、本社からの『この問題に関して住民には一切説明する必要はない』という指示命令の書類が入っていたんだ」
エドワードからの助言を得て、巧みに話を聞きとっているエリンが尋ねた。
「で、その書類を切り裂いて処分してしまったの?」
男はにんまりした。
「ところが、俺はひねくれ者でね。書類を保存しておいたんだ。
いとこが悲惨な病死をした。俺はPG&Eが憎い。あんたがたに仇を取ってほしい」
そう言って書類をエリンに預けた。
これで、PG&Eのヒンクリー工場だけの責任ではなく、本社もクロム汚染の実態を知りながら、汚染と健康被害の抑止の努力を怠ったばかりか、住民に事実を伝えず虚偽の情報を伝える経営方針を出していたことが証明された。不法行為責任は重大だ。
そして、調停裁判の判決日が来た。
法廷はPG&Eの過失責任を全面的に認めた。そして、3億3600万ドルの賠償金の支払を命じた。