そんな患者の1人のなかに、発見が遅れたためにあらゆる治療が「手遅れ」になってしまった女性、ジューン・エリスがいた。マッキーが腫瘍の治療のために毎日、診療室にやって来ると、彼女と出会う。彼女は、いつも泰然としていて、不安と焦燥に駆られているマッキーを冷ややかな目で見つめる。
同意書への記入と署名を求める女性看護師にマッキーが憤懣をぶつけたときには、「彼女は与えられた職務を果たそうとしているだけだわ。病院の仕組みはそうなっているのよ。彼女に不満をぶつけたって、何も解決しないのよ」と突き放した感想を、聞こえよがしにもらした。
「あなたは、どうしてそんなに落ち着いていられるんだ?」とマッキー。
「いいえ、平静でいるんじゃないのよ。こんな扱いにもうすっかり慣れっこになったのよ」という返答。
病気と病院の仕組みの双方に不安を覚える患者という、同じ立場のせいか、マッキーはジューンに親しみを覚えるようになった。同じ苦しみを分かち合う、連帯感というか親近感というか。
マッキーがジューンと親しく語り合うようになってから知ったのは、彼女はかなり進行した脳腫瘍で、もはや治癒をめざした治療というよりも、「終末」までの進行を少しでも緩和したり、痛みを和らげる処置、体力を少しでも長持ちさせる措置を続けているという、深刻な事情だった。
「はじめ偏頭痛が続いたので、脳の検査を求めたのよ。それでCTスキャン検査をしたところ、とくに異常は発見されなかったのよ。ところが、それから半年後のある日、自動車を運転中に突然意識を失って事故を起こしてしまったの。
そこで意識を失った原因を調べるためと事故による脳障害がないか診断するためにMRI検査をしたのよ。すると、かなり進行している脳腫瘍が発見されたというわけ」とジューンは告げた。
「はじめはCTスキャンだけだったのかい。MRI診断は受けなかったのかい」
「ええ、偏頭痛=脳の診断を申し込んだところ、医療保険会社は、病院にCTスキャン検査だけをするように指示を出したのよ。MRIよりもはるかに費用が安いから。私が契約している医療保険では、保険会社が損失を出さずに支払える診療費はそんなものだったのね…
でも、私は自分の運命を呪ったわ。
そのあとは、入院と治療で、仕事もできなくなって、インディアンのダンスショウの前売り券も買っていたのに、病院にいるあいだにニューヨーク公演は終わってしまった…。本当に楽しみにしていたのに」
マッキーは何も言えなくなってしまった。
アメリカの医療保険会社は全面的に営利本位の企業だ。したがって契約者の職種と収入に応じて歴然と格差をつけた対応をしてくる。つまり階級格差を医療サーヴィスの享受にさいしても押し付けてくるのだ。そして、医療費を受け取る病院側も、そういう金融資本の論理に従うしかないというわけだ。