ジューンは逝ってしまったが、マッキーの心――人生観や医師としての姿勢――に永続的なインパクトを残した。その励ましを受けて、マッキーは妻との絆を取り戻そう(いや、新たな構築=再構築というべきか)と奮闘する。
だが、いまやマッキーは声帯の一部を切除されてしまっていて、声が出せなかった。妻に語りかけ、説得すべき言葉=声を失っていた。だが、めげない。大げさな身振り手振りで、そしてボードに水性マジックで言葉を書いて、アンにアプローチし続ける。
命があって、身体が動かし続けられることは幸運なのだから。「妻が愛しい」「彼女が必要だ」といって悩むことは、生きているからこそできる特権なのだから。マッキーは、根っこにしぶとい楽天主義を持っているのだろう。
困難な外科手術を数え切れないくらい成功させてきたのは、そのしたたかさがあればこそだ。使命感や患者に対する責任感をドライヴし支えたのは、知性としたたかな楽天主義だったのかもしれない。困難に直面しても逃げない、諦めない…。
マッキーは妻にプロポウズし続ける。キッチンで妻の前に回り込み、顔を覗き込み、ボードに「君が必要だ」「愛している」といった言葉を書き、アンの目の前にかざし続ける。
はじめのうちは、すげなく拒否していたアンだったが、そこまで頼み込まれれば、悪い気はしない。もともと、ジューンではなく自分にもっと頼ってほしかったのだから。それに、不安と悩みを共有する患者どうしの連帯感(コンパッション、シンパシー)に対するささやかな嫉妬もあったのだから。
それにまあ、ウィリアム・ハートの柔らかな雰囲気に包まれた知性を感じさせる容貌は、なかなか魅力的である。あれで毎日迫られたら、張っていた肩肘も緩めたくなるだろう。
そんな修復努力をしているうちに、マッキーは声が出せるようになった。
声の回復は、医師が患者との信頼関係を築き、コミュニケイションするための不可欠の条件だったから、マッキーは外科医としての職務に完全に復帰することができた。
マッキーはまず自分の行動スタイルを変えた。それは病院改革への最初の一歩だった。
■心臓移植手術■
あのヒスパニック系の中年男性に移植すべきドナーの心臓が手に入った。誰かの災厄と不幸が、別の誰かの幸運に結びつく。
マッキーは、その男性の家族とも信頼関係を築いていく。やはり敬虔なカトリックの妻。男性が慈しむ息子。マッキーは、ごく自然な流れをつくりながら、いよいよ移植手術に取りかかる段取りをつけた。
男性に麻酔をかけるとき、穏やかに手術の段取りを説明して安心させた。これは、ブルームフィールド医師から学んだ真摯なスタイルだろうか。男性がもうすっかり眠り込んでからも、「本当に美しい心臓ですよ。あなたは美しい心の持ち主になれるんですよ」と語りかけた。