ところが、脳腫瘍の「末期治療」に通院しているジューンは、しだい衰弱してきていた。「残された時間があとわずかなのに、何をするにも満足にできない。このまま無為に人生を終えてしまう」という焦燥を抱いていることも、感じられる。近づく死を諦念をもって待つ。残されたほんのわずかな時間なのに、思う通りにできない、と。
マッキーは、苦悩を知る患者としての連帯感から、そして医師として患者の苦悩を少しでも取り除きたいということもあって、何かジューンのためにできることはないだろうかと考えた。
そうだ、インディアンのダンスショウに連れていこう。ということで、電話でネヴァダ州の劇場でも公演ティケットを予約し、航空コミューター便のティケットも予約した。そして、ジューンを病院から連れ出した。
ネヴァダの空港に降りてから、レンタカーで砂漠を走ってダンスショウの会場に向かった。しかし、砂漠の真ん中で、ジューンが車を止めてほしいと言い出した。 「窓の外の景色がどんどん過ぎ去っていくわ。今の私は、過ぎ去っていく光景を見るのがすごくつらいの」と。
そこで、巨大な岩の丘の近くで車を止めて、車外に出た。
彼方まで続く砂漠をジューンは見つめていた。ずいぶん長い間、2人は黙って砂漠の風景を眺め続けた。
ふとマッキーは、ジューンに踊ろうと誘った。ジューンはためらっていたが、マッキーの手を取った。岩のテイブルテラスの上で、2人はダンスをした。
陽はすっかり傾いて砂漠の地平線に沈もうとしている。夕暮れの色が砂漠を染め始めた。ずいぶん長い時間が経過した。そのために、帰りの航空便がなくなってしまった。マッキーは、一晩中運転して、ニューヨークまで車で帰ることにした。
そこで、道沿いの公衆電話ボックスで自宅の妻に電話した。真夜中だった。
受話器を取った妻は、心配していた。病院から抜け出したまま、家に帰ってこなかったからだ。マッキーはジューンを連れ出した事情を話した。すると、アンは急に不機嫌になった。
マッキーが、妻の自分よりもジューンとより深く共感しているように感じたからだ。誰よりも自分を「心の許せる味方( friend
)」だと思っていると思ったのに、と。
嫉妬というほどに激しい気持ではないが、普段自分に示している共感や信頼感を患者とはいえ、別の女性に向けるなんて・・・。信頼感の足元をじわりと崩されるような不安というべきか。これを、きっかけに夫婦のあいだには深い溝が生じてしまったようだ。