いろいろ経緯はあるが、ともかくも、ある程度良質な医療を受けることができるのは、資産家階級とエクソンとかGM、GEというような巨大企業に勤めることができた労働者や知的専門職だけになってしまった。巨大企業は、労働組合との協約によって、従業員を医療団体保険に加入させるために、莫大な金額を保険会社に支払っている。法律事務所や会計事務所、シンクタンク、政治コンサルタントなどの専門職団体も同様だ。学歴主義がそれを支える。大企業の従業員は特権的な労働者階層をなすのだ。
そのおかげで、巨大企業との雇用契約が続く限りで、従業員とその家族は、日本でなら当たり前程度の良質な医療サーヴィスを受けることができる。医療保険のおかげで、費用がかかる、すぐれた病院、優秀な医師による診療を受けることができるのだ。
このほかに、退職年金制度も巨大企業では充実している。
しかし、こうした大企業との雇用関係がなくなれば、悲惨な状況が待ち構えている。すでに触れたように、病気にかかったとき、自分では、必要な医療を選択できないからだ。すべては、金融利益本位の医療保険会社が一方的に決めてしまう。
その結果、病状が悪化したり、助かる命が助からないという事態が頻発している。ある統計によれば、合州国の医療保険のミスマッチによる社会的損失は、年間90兆円(7500億ドル)にのぼるといわれている。
国家の社会保障政策とまではいかなくても、社会保険で医療費負担を「広く薄く」すれば、予防医療や軽度な病状での回復が可能になるため、社会的コストは3分の1未満になるという。
結局のところ、医療コストを社会的に平均化ないし分散化するシステムがないから、有力企業は優秀・良質な従業員=労働力を確保するために、会社単独として、巨額の医療保険掛け金を支払うことになる。ということは、労務費関係の固定費がきわめて高くなる。
これはとりわけ、製造業にとって大きな打撃になる。
つまり、国内に多くの工場を配置して製品を製造すると、固定費が膨張して製造原価が大きく上昇してしまい、利潤が低下するか、製品価格の値上げで競争力を失っていくか、という結果になってしまう。
その結果、品質や開発力を重視して国内で生産するよりも、国外で生産した方が利潤や価格競争力が大きくなるということで、主力の生産工場を国外に持っていくことになる。そういう圧力は大きい。
そして、アメリカ国内での産業空洞化が加速し、深刻になっていった。
品質管理や工程技術の開発についても、国内では限られた拠点だけにしていった。やがて、技術開発や製品開発に、労務費も含めて、費用を投ずることを避けるようになっていった。
これが、1970年代末から80年代のことだ。
レイガノミクスは、「サプライサイドの経済政策」を提示して、製品開発や技術開発を基軸とする製造工業部門の成長を大きく阻害し、企業が財務金融事業から収益をむりやり引き出す傾向を促進した。というのも、連邦政府の社会政策財政が大幅に緊縮されて、企業の医療保険コストは急速に膨張したからだ。
大企業は財務金融的な操作――M&Aや株価政策、配当金政策による――短期的収益の捻出に奔走するようになった。工場建設や設備投資、技術革新などによる長期の投資活動や労働力育成には力を入れたくてもできなくなっていった。
工場立地の多国籍化で60年代から深刻化していた「産業空洞化」が、ここで加速して、しかも問題が構造的・全体的になってしまった。
GMやクライスラーの破産=倒産へのシナリオは、じつは1980年代の初頭には始まり加速し、明白な危険信号が出ていた。その後、危機は有力企業にも意識され、民主党の政策的な検討課題になった。
クリントン政権時代にも、かなり深刻な問題提起がなされて、大統領は政策づくりをおこなったが、なにしろ南部出身の大雑把な大統領だったから、明確な課題タスクにしなかった。そのうちセクハラ問題で、大統領は政策的な能力を失っていった。
次のブッシュ政権は、大ばか者の野合だったから、戦争政策ばかりに気をとられてしまい、アメリカのヘゲモニーを日々掘り崩している、医療保険問題を歯牙にもかけなかった。結局、問題は深刻化し、末期症状を呈するようになった。
オバマが危機感を抱いて医療保険制度の改革に臨んだのは、そういう背景があった。