フライデイ・クラブは、「勝ち目のない大陸の戦場に若者たちが兵士として送られて命を落とすのは、『哀れで醜悪なユダヤ人』を守るためにブリテン政府がドイツと敵対し交戦しているためだ」というレトリックで反ユダヤ主義を煽っていた。
そして、スペンサーは自分のボディガード役をしている跳ね上がりで荒くれの若者たちを扇動して、ロンドンをはじめとする各地でユダヤ系の市民を襲撃させていた。
ある日、ロンドンの街中の人気のない路地裏でユダヤ系の若者が暴漢の集団に襲われて瀕死の重傷を負った。若者は病院で治療を受けたのち、自宅で長期の病床療養を余儀なくされた。
それから数日が経過した頃、おりしもホワイトフェザー・ホテルではフライデイ・クラブの定例集会がおこなわれようとしていた。
その日、ホテルに中年の男性客が訪れた。 アイザック・ウールトンと名乗って身分証明書を示し、数日の滞在を申し込みチェックインした。
亭主のアーサーがウールトンのチェックイン手続きをしていると、マーガレットが横から「ユダヤ人はお泊りいただくわけにはいきません」と口出しした。だが、アーサーは、ウールトンは身分証があり英国市民権があるのだから大丈夫だと言って、受け入れた。このシーンから、マーガレットがフライデイ・クラブの会員として強い反ユダヤ人感情を抱いていることがわかる。
実はウールトンは偽名で、その男はロンドン在住の雑貨屋だった。彼は、先頃、ドイツ生まれの甥、イツァーク――ドイツに住んでいた彼の両親は強制収容所送りになった――がフライデイ・クラブの暴漢たちに襲われて重傷を負わされたのを恨み、クラブの主宰者、スペンサーを殺害して復讐しようとして、このホテルにやって来たのだ。
そのためにリヴォルヴァー拳銃を隠し持っていた。
とはいえ、アイザックは平素、心穏やかな紳士で、そのせいもあって腹が座らず、スペンサーを狙い撃つ機会をなかなか見出せずにいた。
ところが、ホテルの経営者夫妻の一人息子、スタンリーは、ウールトンが滞在する6号室の清掃中に、カバンのなかにタオルにくるまれた拳銃があるのを発見し、両親に告げた。
ところで話は飛ぶが、17世紀の市民革命後、イングランド王は国教会の首長としての地位・権限を行使しなくなったものの、コモンローと慣習法の国のせいか、教会との関係における王の地位と権限を廃絶する法律を制定していない。
そのため、ときおり、教会の首脳としての地位や体面を守るような慣習に沿った行為をなすことがある。
たとえば、王位の保持者または継承者が離婚することができないとか、離婚経験のあるものを配偶者にできないという慣習がある。そのため、エリザベス2世の父君の兄、王エドワード8世は離婚歴のある婦人と結婚するために王位を放棄してしまった。そのため、弟が即位してジョージ6世となり、やがてまだ少女のエリザベスが急遽王位を受け継ぐことになった。
そういう伝統と背景があるため、ジョージ6世は王としてまた国教会の首脳として1940年の春、対独戦況の悪化を懸念して「国民祈祷の日 National Day for Prayer 」を設けた。それは、すべての国教徒ならびに民主主義を信奉するキリスト教徒が教会や集会場に集合し、ナチス・ドイツに対するブリテンの勝利のために神に祈る日を設け、市民の国民的結束を確認し、政府や軍への支援・協力を心に誓う場とすることを呼びかけるものだった。
もはや「神に祈るしかない」と思えるほどに、国家の首脳は戦況に危機感を抱いていたのだ。それはまた、諸国家の敵対関係のなかで教会と宗教が民衆を政治的に結束させるイデオロギー装置としての機能することを意味している。
その国民祈祷の日、フォイルとサマンサは一緒にヘイスティングズ街中の教会での祈祷に参列した。
フライデイ・クラブは、こうした一般市民の危機感や焦燥感につけ込んで、煽動活動を展開していた。だから、彼らによれば、ブリテンがドイツに宣戦してヨーロッパに兵員を送ることになったのも「ユダヤ人の陰謀」によるものだということになっていた。
そして、自分たちの「反戦・平和運動」は、「ダヤ人の陰謀の影響下」からブリテン政府と国民を救い出すための運動だというのだ。
虚偽イデオロギーもここまで来ると、唖然とするほどだが、実際にそういう動きがあったというから、「事実は小説より奇なり」だ。