警察に拘束されているイーディスは、最近疎遠になっていた恋人、デイヴィッドの死の知らせを聞いて悲しみに沈んだ。
フォイルは彼女の立場に同情しながら、電話線切断にいたる経緯を聞き出した。
「支配人のマーガレットがやれと命じたのかね」
「いいえ、そういうことはないのですが、怖かったんです。
私の祖母はユダヤ教徒でしたし、しかも間もなくドイツ軍が侵攻してきてブリテンを支配することになると言うんですもの。ドイツ軍が来れば、迫害されるのではないかと……」
「そんなことを何度も聞かされたのかね」
「はい、だから、恐ろしくて。
そんなとき、マーガレットは言ったんです。
『ドイツの味方だという証拠を見せなさい。そうすれば大丈夫だ』と」
「それで、電話線の切断をしようと思ったのかな」
「はい。
でも、こんな大騒ぎになるとは思いませんでした。電話線はすぐに修理されるだろうと思ったんです。 反逆罪で逮捕されるなんて……。
私は絞首刑にされるの、それとも収監されるのでしょうか」
「いや、証拠不十分で釈放する」
「ええ、本当ですか。ありがとうございます」
脅迫によって破壊工作を誘導したマーガレットは殺されてしまっているということで、フォイルはイーディスを罪の問わないことにしたのだ。そして、去りぎわの彼女に声をかけた。
「デイヴィッドのことを忘れないだろう」
「はい、忘れません」
ところで、マーガレットが死亡する直前、スペンサーの慫慂を受けて遺言書を書き換えていた。
ホワイトフェザー・ホテルの財産権と経営権はすべてマーガレットが握っていた。そのマーガレットはスペンサーの思想に心酔してホテルの財産権と経営権の半分をスペンサーならびにフライデイ・クラブに遺贈することにしたのだ。
してみれば、マーガレットの死で最大の利益を受けるのは、クラブの主宰者であるスペンサーだ。
この時代には、上流そうな見かけの服装や振る舞い、尊大な態度がその人物の思想や信条の説得力を強める手段だったのだ。だから、エリートはより尊大かつ専横に振舞うという行動スタイルになる。
そんなスペンサーが会合で繰り返し「間もなくドイツ軍がブリテン島に上陸してくる」と主張すれば、知識が乏しく意思の弱い者は、そんな気になってくる。
当時の総選挙では、有力な政治家たちは「庶民への近さ」ではなく「庶民とかけ離れた横柄な態度」を誇示することで尊敬を集め、支持を獲得していたのだ。今日の政治とは隔世の感がある状況だ。大笑いだが、議会政治や民主主義における社会心理・大衆意識はそんなものだった。
だから、この物語で傲岸不遜なスペンサーの態度がミルナーの意識に強い影響をおよぼすのは、当時に社会状況からしてごく自然なことなのだ。
さて、事件から1週間が経過した。 殺人事件の動作のためという理由で、フォイルはフライデイ・クラブのメンバーをホテルに足止めさせ続けてきたが、メンバーのなかの強硬派、貴族院議員のアーネスト卿は政治力を用いて警察に圧力をかけて、足止めを解除させてしまった。
彼は夫人とともに勝ち誇ったような顔つきでホテルを後にした。
クラブのメンバーは次々にホテルから去っていった。そして、最後にスペンサーもフレミングをともなってロンドンに帰ることになった。
去りぎわ、フォイルの傍らで捜査を続けるミルナーに声をかけた。
「このあいだ貸した本は読んだかね。読み終えたら、郵便で送り返してくれたまえ」
こうして、ホテルでのフライデイ・クラブの「長い1週間」は幕を閉じた。