さて、フォイルは悲惨な戦争体験が後を引いてスペンサーの影響下に取り込まれているミルナーを呼びつけて問いただした。捜査ティームを構成する以上は、指揮官として部下の士気や態度に注意を払い、規律を保つ必要を感じたようだ。
まさにこれこそ、題名通り「フォイルの戦い」だといえる。
フォイルは、この間の捜査のなかでミルナーが捜査官としてスペンサーに対して厳正な態度を取れなかったことについて尋ねた。
「スペンサーを尊敬している」というのが、ミルナーの答えだった。
「だが、彼に私の息子が空軍に勤務していることまで安易に話してしまうのはきわめて問題だ。
それに彼から本を借りていることを報告しなかったことも問題だ。
その本は読んだのかね」
「いいえ、ほとんどまだ読んでいません」
「君はファシストを支持するのか。そして反ユダヤ主義に対してはどうだ」
「いいえ、私は共感していません。
ですが、悲惨な戦場体験をした私の心情はどうにもなりません」
「だが、君はスペンサーに手玉に取られて利用されてしまったんだよ」と言って、フォイルはミルナーが借りていた『ユダヤ教長老会の議定書』を手に取った。
そして、見返しのノド側付け根にある切れ目から書簡用紙をピンセットで抜き出した。
「彼はここにハリファックスの書簡を隠して、君に手渡した。われわれの捜査から隠蔽するためにね。
まさか、君の手許に手紙があるとはだれも考えないからな。 実に巧妙な手口だよ」
家柄や身分、政治的地位を盾にとって庶民の心の弱点を巧みに衝いて、自らの利欲のために利用するのがあのような手合いなのだ。警察官はそういう誘惑や妨害にも毅然と立ち向かわなければならない。そういう姿勢をフォイルは示したかったのだろう。
「はい、軽率でした。
それで私の処分はどうなりますか。解任ですか」
「いいや、この件はこれで終わりだ。もっと私を信頼してくれ(悩みは相談してほしい)、われわれはティームだ。
このことは、すっかり忘れてくれ」
じつはフォイル自身も第1次世界大戦でヨーロッパ戦線で過酷な体験をした。戦場のむごさ、目の前にいる人間たちを「敵兵」として殺す任務の非情さ、悲しさを誰よりも知っている。彼自身も悲惨な戦争体験を引きずっていた時期もあったらしい。
だから、自分とよく似た体験をして苦悩している有能な部下に教訓を与えて捜査官としてしかるべく育成したかったのだ。とりわけ、有力者の犯罪や不正に目をつぶることなく、犯罪捜査官として立ち向かう姿勢を整えてほしかったのだろう。
さて、ハリファックスの書簡は軍情報部に渡され、情報部はスコットランドヤードの公安部と連携して、フライデイ・クラブを捜索し主宰者のスペンサーを反逆罪で逮捕。さらにハリファックス卿の書簡を盗み出してファシスト団体に提供した罪科でハーウッド女史をも逮捕した。明白な物証が確保されたので、彼らは軍事法廷の後、即座に絞首刑になるはずだ。
フライデイ・クラブの活動も禁止されるだろう。
だが、このあとにドイツ空軍によるブリテン本土空爆が開始され、ブリテン市民の悲惨な戦争は今始まったばかりなのだ。